永眠者記念礼拝 「平和を求めよう」
説教  澤 正幸 牧師
旧約聖書 詩篇46編1~12節
新約聖書 ルカによる福音書21章20〜33節

 

永眠者記念礼拝 詩編46編1〜12節

旧約聖書の詩編は、イスラエルの民が礼拝で歌った祈りの歌、信仰の歌、讃美の歌でした。イスラエルの民が歌っただけでなく、旧約聖書の時代以来、今日に至るまで、全世界の教会で、詩編は読まれ、歌い継がれています。

詩編の1節に小さい文字で「指揮者に合わせて。コラの子の詩。アラモト調。歌」と書かれています。この詩編がエルサレム神殿の礼拝で、指揮者に導かれた聖歌隊によって歌われたこと、作詞者はコラの子と呼ばれる人であったことを示しています。アラモト調というのは、どういうメロディーだったのか、今日、知ることはできないのですが、一説によるとそれは少女のソプラノの声でという意味だったと言われています。

この歌が最初に作られて歌われたのはいつだったか、それは紀元前701年にユダヤで起きた一つの歴史的事件がこの歌の背景になっていると言われてきました。
その事件というのは列王記下18章から19章に書かれている出来事です。ユダの王ヒゼキヤの時代に、アッシリア帝国の王センナケリブによってユダヤ王国の首都エルサレムが包囲され、エルサレムは滅亡の危機に立たされました。アッシリア王の遣わした将軍ラブシャケはエルサレムの住民の聞いているところで、大声でヒゼキヤを罵り、さらにヒゼキヤが頼みとしている主なる神の名を嘲ります。
その嘲りに対して沈黙し、一言も言い返すことができなかったヒゼキヤ王は、預言者イザヤの許に人を遣わしてこう言いました。
「今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを生み出す力がない。生ける神をののしるために、その主君、アッシリアの王によって遣わされて来たラブ・シャケのすべての言葉を、あなたの神、主は恐らく聞かれたことであろう。あなたの神、主はお聞きになったその言葉をとがめられるであろうが、ここに残っている者のために祈ってほしい。」(列王記下19:3〜4)
しかし、この危機の中から、エルサレムは主なる神の奇跡的な介入によって救い出され、滅亡は回避されるに至りました。その箇所を引用します。

列王記下19:32〜37(旧約聖書614ページ)

「朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた」(35節)。
詩編46編6節に「夜明けとともに、神は助けをお与えになる」とあるように、エルサレムの都を包囲していたアッシリアの軍隊は一夜にして、疫病の蔓延によってでしょうか、撤退して行き、エルサレムは主なる神によって奇跡的に救出されたのでした。

詩編46編をもとに宗教改革者のルターが「神は我がやぐら」という有名な讃美歌をつくりましたが、ルターは、1529年にオーストリアのウイーン城がトルコ軍によって包囲され危機に立ち至ったとき、トルコ軍がウイーン城の包囲に失敗して撤退したとの知らせを聞いて、たちどころに筆をとってその讃美歌を作ったと言われています。

この詩編46編は、ヒゼキヤ王の時代にエルサレムで起きた奇跡的な救いの出来事と重ね合わせて、人々が危機的状況に陥ったときに、かつての救いの出来事を思い起こして、自分たちが今、直面させられている危機をも主が乗り越えさせてくださるという信頼にたって歌う歌として、長く歌われてきたと言えるでしょう。

2節の最後の「助けてくださる」というのは、かつて「助けてくださった」、主がこれまでも苦難の度に助けてくださったことを知っている、だから、今度も必ず主が助けてくださるに違いないと、そういう意味が込められているというふうに受け取ることができます。

しかし、この詩編を生み出したのが紀元前701年の歴史的事件だったとしたら、その後のイスラエルの歴史においては、この歌をただ単純な思いを持って歌うことができない時代もあったということ、それは確かなことです。

例えば、詩編137編という詩編があります。「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、私たちは泣いた。」という詩編です。(旧約聖書977ページ)
3、4節に「わたしたちを捕囚にした民が、歌えというから、わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして『歌って聞かせよ、シオンの歌を』というから。どうして歌うことができようか。主のための歌を、異教の地で。」とあります。

詩編137編は、紀元前587年、先ほどのヒゼキヤ王の時代から120年ほど経った時代に、ユダ王国はバビロン帝国によって滅ぼされ、都エルサレムは廃墟と化し、エルサレムから捕囚としてバビロンに連行された人たちが、バビロンで歌った詩です。捕囚の人たちがバビロンの人たちの求めに応じて歌う「シオンの歌」として、どうして詩編46編の歌を歌えたでしょうか。その後の歴史はこの歌をただ単純な思いを持って歌うことができない時代がかつてあったと申し上げたのはそういう意味です。

そして、今という時代も、目の前の現実をみると、複雑な思いを持ってしかこの歌を歌えない時代ではないかと思います。今、わたしたちが毎日、心を痛めて見聞きしているパレスチナ・ガザでの戦争は、遡れば紀元70年にユダヤがローマ帝国によって壊滅させられ、都エルサレムとその神殿が廃墟となって、ユダヤ人が国を失った民として全世界に離散するようになった歴史と結びつきます。
2000年の長い間、祖国を持ち得なかったユダヤ人が、しかし、20世紀になって1946年の国連決議によってパレスチナにイスラエルを建国するに至りました。その結果、それまでそこに住んでいたパレスチナの住民は土地を奪われ、難民として追放されるに至ったのでした。今日のパレスチナ問題の原因はそこにあります。

もし、今日のイスラエルで、テロ攻撃を仕掛けてくるパレスチナの人々から、イスラエルが主によって守られるに違いないという意味で、詩編46編がユダヤ人によって歌われるとすれば、わたしたちは困惑し、失望を禁じ得ないのではないでしょうか。

それゆえに、わたしたちは改めて、そもそも、聖書に記されているこの詩編はどういう歌なのか。何がそこで歌われているのか。丹念に、丁寧に一句、一句を読んで、そこに込められている主なる神への祈りと、主なる神に捧げられる賛美は何なのかに耳を傾けたいと思います。

2節
ここでは3つのことに注意したいと思います。
第一は、避けどころ、砦というのは、エルサレムではないということです。地上のどこかでもなく、地上の勢力でもないということです。避けどころはエルサレムではなく、生きた人格であられる神ご自身が避けどころなのです。それが第一に注意しておきたいことです。
避けどころとか、砦というのは、そこに避難すれば安全である、危険が及ばないところ、誰かが守ってくれるところです。これには自然災害からの避難と、もう一つ、国々の軍事的脅威からの避けどころという二つの面があります。騒ぎ立ち、人々を不安と恐怖に陥れるものとして、4節と7節に、それぞれ自然の力と国々が挙げられています
率直に言って、今の日本にとって、軍事的脅威からの避けどころとは、アメリカの核の傘のことを意味していると言えるでしょう。
わたしたちを脅かしているのは、外国から飛んでくるミサイルによる軍事的脅威だけでなく、異常気象による洪水、山崩れ、原子力発電による核の汚染、地震による津波など、人間の力では到底立ち向かえないおそるべき自然の力があります。それらのすべての脅威から、わたしたちが逃れゆく避けどころ、わたしたちを守る翼のかげは、地上の国々の力、人間の力ではなくて、ただ生ける神のみであると言います。これが注意すべき第二のことです。
第三に、ここでわたしたちと言われている、わたしたちとはだれのことでしょうか。
だれかが「わたしたち」というのを聞くとき、聞く人は、自分がそこには入っていない場合があるのに気づかされます。家族であれ、民族であれ、グループであれ、皆そうです。
今、深刻なのは、神が避けどころとなってくださる「わたしたち」という場合、仮にイスラエルの人たちがこの詩編を唱えるとき、ガザで傷つき、涙を流している少女たちを、その「わたしたち」に入れているのか、入れていないのかは決して見過ごせない問題ではないでしょうか。
2節についてまとめると、生ける主なる神が、自然の脅威から、また国々の軍事的脅威から、雌鶏が翼を広げて雛をその翼の下にかくまうように、避けどころとなってくださるのは、だれに対してなのでしょうか。

この詩編は3つに区切られると言います。その第二の部分に「川の流れ」というのが出てきます。(共同訳聖書では「大河」となっていますが、大河と訳す理由はないので、普通に「川」とした方が良いと思います。)この川はエルサレムの都を流れるシロアムの流れ(イザヤ8:6)のことと解釈されてきました。エルサレムは標高750メートルの高い山の上にある町です。その住民にとっては飲料水の確保に命がかかっていました。高地にあるエルサレムに湧き出るギホンの泉と、その水を町の中にトンネルを作って流す水路はエルサレム住民の命綱でした。これは緩やかに流れる水路でした。それに対比されるのが、漲り溢れて流れるナイル川やユーフラテス川の大河です。あるいは地震に際して押し寄せる津波です。これらは圧倒的な力を持ちます。しかし、飲料水として飲むことはできません。命をつなぐことはできないのです。
預言者エレミヤの言葉に、「まことに、わが民は二つの悪を行った。行ける水の源であるわたしを捨てて、無用の水溜めを掘った。水を貯めることのできない壊れた水溜めを。」(エレミヤ2:13)という預言があります。エルサレムの都はいける水の源である神ご自身によってたとえ外敵によって包囲されても、飲み水は確保されていました。生きた水の源である主なる神を捨てて、エジプトやアッシリア帝国の軍事力に頼って安全を確保しようとすることはしてはならない悪なのです。
この命の泉からもたらされる水こそ、みなぎる洪水が押し寄せる危機にあっても、エルサレムを揺らぐことなく支え、守る神からの助けなのです。その命の水とは預言者を通して語られる神の御言葉を指しています。

第三の区切りは神がもたらされる平和を歌っています。
9節に「主はこの地を圧倒される」とあります。原語では「荒廃をもたらす」という言葉です。10節のような状態は、神が地にもたらされる荒廃の結果だということになります。
思えば、第二次世界大戦は、日本全土に荒廃をもたらしました。でも、戦争がもたらした荒廃の結果として、日本はそれまで持っていた軍隊、軍艦、飛行機を放棄したのです。
戦争は敗戦国に荒廃をもたらします。でも敗戦国はそれによって、平和な国に生まれ変わることができるのです。
それに対して、戦争に勝利した国はどうでしょうか。アメリカは第二次世界大戦に勝利しましたし、その後、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタンでの戦争を戦い続けてきました。その結果、アメリカに現在もたらされているのは何か、それは兵士たちの精神を深く傷つけ、病ませていることに現れている深刻な荒廃であるように思います。
戦争による荒廃は敗戦国だけでなく、戦勝国にももたらされるということです。その意味では戦争に真の勝利者はいないと言わざるを得ません。国々の軍事的勝利は、世界正義の実現をもたらすためだと主張されても、実際には正義は実現されていませんし、真の平和ももたらされてはいないことは、イラクやアフガニスタンを見れば明らかです。

そもそも軍事的優位が安全、安心、平和をもたらすというのは明らかな嘘です。アメリカは中国が、中国はアメリカが、自分よりも軍事的優位に立つことを恐れて、必死に軍拡競争をしています。北朝鮮はアメリカを恐れ、アメリカ、韓国、日本は北朝鮮を恐れています。わたしたちは軍事力のもとでは本当の安全、安心、平和を保つことができない現実を沖縄において見ています。

今日は永眠者記念礼拝です。福岡城南教会は1931年に創立された教会として、戦争が終わった1945年にはまだ始まってから14年しか経っていない若い教会でした。戦前は礼拝に集う人の数は20名ほどの小さな教会だったということです。出征した学生さんもあったようでしたが、戦争が終わったとき、戦争の被害を被った人、戦死者、空襲で家を焼かれた人などは幸い一人もいなかった中で、戦争がなかったら死ななかったと藤田牧師はじめ、教会員が後悔と悲しみをもって覚えた一人の少女の死がありました。河田真紀子さんという、日曜学校の少女が、戦争のための疎開に明け暮れた混乱の中で、疫痢にかかって命を落としたのでした。

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。

この詩編はアラモト調、少女のソプラノの声で歌われる歌ではないかと言われます。
神はだれと共にいてくださるのでしょうか。神がご自身のもとにのがれて来るものを、雌鶏が雛を守るように、その翼の陰に迎え入れてくださる「わたしたち」とは、だれでしょうか。戦争がなければ今も生きていたであろう少女たち、今も、ガザで悲しみの涙を流している少女たちの、のがれ場であられるのは、主なる神です。その主をわたしたちはすべての人と共に仰ぎましょう。

11節
日本の国がもし、戦前のまま、軍事力を誇るような国であり続けていたらどうだったでしょうか。「八紘一宇」などということが実現していたらどうなっていたことでしょうか。日本が戦争に負けて本当に良かったと思った日本人は少なくなかったと聞きます。ましてや、戦争に負けた結果、日本が戦争を放棄し、軍隊を持たない国となり、周囲のアジアの国々に喜ばれ、愛され、尊敬されさえする平和国家となれたことは幸いなことでした。

わたしたちは、これからも命の水の源である神の生きたみ言葉に聞き続けてゆきましょう。そしてすべての人と共に、この歌を少女たちのソプラノに合わせて歌いたいと思います。

父と子と聖霊の御名によって