*2018年6月17日に開催されました福岡城南教会コンサートでの挨拶を掲載いたしました。


あらためて、みなさんに歓迎のご挨拶を申し上げます。
ようこそ、福岡城南教会の教会コンサートにおいでくださいました。

今、「丘の上の教会へ」という曲を歌いましたとおり、この教会は丘の上に建っています。
聖書に、「山の上にある町は隠れることができない」という言葉があります。イエス・キリストが語られた言葉です。(マタイによる福音書5:14)また、「ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」、これも聖書に書かれているキリストの言葉です。(マタイによる福音書5:15)

わたしたちは、今日、丘の上にある隠れることのできない町として、みなさんの前で、ともし火を高く掲げ、その光がこの福岡の町と、そこに住むすべての人々を照らすことを願って教会コンサートを開いています。

わたしたちがこのコンサートで高く掲げたいともし火、みなさんに示したい光は、「わたしたち人間は神を賛美するために創造されている」というメッセージです。わたしたち人間が創造された目的、人が生きている目的は造り主なる神をほめ称えること、主なる神を賛美することであるというメッセージです。

わたしもコーラスの一員として、みなさんの前で歌いますが、賛美の歌を歌うのに、最も大切なものは何かというと、それは息、呼吸です。歌は息で歌います。
息というものを、みなさんはふだん意識なさらないと思います。でも息は、それが止まれば、わたしたちは死にます。人は息によって生きています。

息のことを聖書の書かれた原語、ヘブライ語ではルーアッハと言いまして、それは風とも訳されます。みなさん、風は、吹いている音は聞こえますが、それがどこからきて、どこへゆくのか、わたしたちは知りませんね。では、人の息、人の中に吹き込まれる命の息吹である、風、それはどこからきて、どこへ吹いてゆくのでしょう。

わたしたちに宿っている息、これは創造主なる神から吹き込まれたのであり、死ねば、また神にかえってゆきます。では、わたしたちが神様から命の息吹をいただいて、生かされている地上の束の間の人生において、わたしたちはこの命の息を何のために用いるようにと、それをさずかっているのでしょうか。

それは神様を賛美するためです。創造主なる神を賛美するためにわたしたちは生かされ、息を与えられている。今日、わたしたちはみなさんとともに、賛美をとおして神様をほめたたえ、喜んでともに生きてゆくことを願いつつ、このコンサートを開いています。今日、コンサートのときだけでなく、このコンサートが終わってみなさんが家路につかれるときも、わたしたちは神を賛美するために創造されたとのメッセージをこころに携えて、それぞれにいただいた人生を、神を賛美しながら生きて行っていただきたいと心から願います。
それでは、コンサートの続きをお聞きください。         福岡城南教会牧師 澤 正幸