聖日礼拝『命あるものの母』 説教 澤 正幸牧師
旧約聖書 列王記上17章8~24節
新約聖書 ルカによる福音書7章11~17節

 

 

母の日の歴史
5月の第二日曜日は「母の日」として覚えられています。母の日の母は複数形、母親たちではなく、単数形です。この世界でたった一人の、他の誰をもってしても代えることのできない自分の母のことを心に覚え、感謝を表す日だと言われています。
「母の日」は今、宗教を問わず、キリスト教国だけでなく、イスラム教国であれ、仏教国であれ、あるいは無宗教の共産主義の中国や北朝鮮でも守られていて、この宗教的とは言えない日本においても、人々によって覚えられ、守られています。
このように全世界的に守られている「母の日」ですが、その歴史は浅くて、それが守られるようになってからせいぜい100年ほどしか経っておりません。最初に「母の日」が守られたのは、1907年、アメリカのウェストヴァージニア州にあった小さなメソディスト教会においてでした。始めたのはアンナ・ジャーヴィスという女性で、彼女は、その2年前1905年5月9日に亡くなった彼女の母、アン・ジャーヴィスを記念して5月第二日曜日の礼拝で、集まった会衆に白いカーネーションを配ったのが始まりです。それから間もなく、「母の日」は瞬く間にアメリカ全体に広がり、最初の「母の日」が守られてからわずか7年後の1914年に、当時の合衆国大統領ウィルソンによって、5月の第二日曜日が法律で定められた国民的記念日としての「母の日」となりました。
「母の日」の創始者アンナ・ジャーヴィスが記念した、彼女の母、アン・ジャーヴィスは牧師の娘として1832年に生まれ、南北戦争の時代にとても困難な人生を送った女性でした。13人のこどもを産みましたが、そのうち9人までを病気や栄養失調で失い、大人にまで成長したのはわずか4人だけでした。彼女は家庭に閉じこもる人ではなく、平和活動家として戦争で戦った北軍と南郡の兵士を和解させるための会を開いたり、夫やこどもが兵士として戦争で死ぬことを願わない母の願いと祈りを覚える「平和のための母の日」を提唱しました。その母アン・ジャーヴィスの死んだ5月の第二日曜日を記念して、教会で「母の日」を守り始めた娘アンナ・ジャーヴィスが、この日に込めた精神は、母アンが願った平和にあったのです。
しかし、「母の日」に込められた平和を願う精神は忘れられ、この日は商業ベースの「母の日」となって行きました。「母の日」のカードを売り出したカード会社、キャンディーを売り出したお菓子の会社、そして何よりカーネーションを販売した花卉産業が儲けのために熱心に「母の日」のキャンペーンに取り組むという仕方で広まって行ったのでした。アンナ・ジャーヴィスはこの社会的風潮に激しく抵抗しました。彼女はのちに「母の日」の廃止を唱えるまでになりました。これが「母の日」の歴史の光と陰の部分です。

息子を生き返らされたやもめの話
やもめのたった一人の息子が生き返らされる話は、旧約聖書の列王記上と新約聖書のルカによる福音書に書かれています。
預言者エリヤによって息子を生き返らせてもらったサレプタのやもめは、干ばつのために、最後に残った一握りの粉と、わずかな油で息子と自分のためにパンを焼いて、それを食べて死のうとしていたとき、預言者からこう語りかけられました。13節。
預言者がこのとき、まず、預言者に食べさせ、その後で、やもめと彼女の息子のために食べ物を作りなさいと言ったことは、主イエスが言われた「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、必要なものは添えて与えられる」というお言葉を思い起こさせます。
また旧約聖書の申命記に書かれている「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」という御言葉を連想させます。
およそ人間はパンを食べるために生きている存在なのか。食べること自体が人生の目標なのか。それとも、食べること自体は人生の目標なのではなく、人生の目標はもっと高いところにあって、あくまでも、それを目指すための手段としてパンを食べているのであり、そのために働いているということなのか。
人は一体なんのために生きるのか、実際に生きているのか、それは人間にとって基本的な問いです。サレプタのやもめが預言者エリヤによって突きつけられたのは、その問いでした。

15節.預言者の言葉通りにした結果、やもめと彼女の息子が生きたこと、それは神の御言葉が彼女と彼女の家を生かすと言った預言者の言葉が真実であることを証明するものでした。

17節.ところが、預言者がその家にいる間に、息子が死にました。ルカによる福音書に出てくるナインのやもめも、一人息子を亡くしています。やもめにとっては、息子がやもめの将来とその生活の支えであり、しかも、たった一人しかいないその息子が亡くなることは、彼女にとって全てを失うことを意味します。息子の死はやもめである彼女の死でした。裏返せば、息子の命はやもめの命であり、息子が生きることで、彼女も生きるのです。

19節、20節。預言者は息子を生き返らせ、母親に渡しました。

23節.「見なさい。あなたの息子は生きている」。息子が生き返ったので、母親も死から命へ戻ることができました。主なる神が息子を生きて、やもめに返してくださったことによって、やもめは自分の命をも主から返していただきました。

24節 ここで一度立ち止まって考えてみたいと思います。やもめにとって息子の命は自分の命でした。息子が生きれば、自分も生きます。しかし、息子が死ねば、やもめも生きることができません。ということは、主なる神が死んだ息子の命を元に返してくださったとき、主なる神は、やもめの命である息子を生かしてくださることによって、やもめを生かしてくださったのでした。預言者を通して御言葉を語ってくださった主が、そして御言葉そのものが、彼女の命なのです。

預言者を養い、御言葉を支えるやもめ
でも、みなさん、彼女に命をもたらすその御言葉を語る預言者を養ったのは、誰だったでしょうか。預言者を養い支え、ひいては御言葉そのものを支えたのは、誰であろうやもめだったのではないでしょうか。やもめは、息子を生き返らせた主のみ言葉を支え、それを語る預言者を養っていました。ということは、彼女が御言葉を信じた、その彼女自身の信仰が、預言者を支えていたのです。
つまり、やもめの信仰が、息子に命をもたらしたのです。
やもめは母親として息子に命を授けたとき、それは自分が息子を生かしたのではなく、息子に与えられた命は主から授かった命であることを知っていました。そして、その命が失われたときも、それを元に戻すことは、彼女にはできないこと、しかし主が命を元に戻してくださったことを知っていました。その全てをなさることのできる主と、主の御言葉を信じる信仰によって、やもめの命である息子は生かされ、彼女自身も生きるのです。そしてやもめはその主の御言葉に仕えることを許されたのです。そうしてやもめは御言葉にあずかることができました。そして、その母としての信仰が、息子の命をもたらし、ひいては自分自身の命につながったと言えるのです。

ここで私の母のこと、その信仰と祈りについてお話しすることを許してください。私の母は、父が最初の妻を亡くしたので、再婚の相手として、父と結婚しました。でも、母には父と結婚する前に、婚約したまま結婚に至らずに死に別れた婚約者がいました。その人は牧師でした。母は結婚して最初の子供を授かった時、その胎児を神様に捧げますと祈りました。そうして私が生まれました。私が亡くなった婚約者の跡を継いで、伝道者、牧師になってほしいというのが母の隠れた願いであり、祈りでした。その母の祈りが聞かれ、私は母の信仰によって、伝道者になりました。私が生きること、こうして牧師として生きることは、母が生きることでした。母の祈りが聞かれ、母の信仰が生かされることは、私が生きることであり、私が生きることは、母が生きることでした。

預言者エリヤが息子を生き返らせたとき、21節で、子供の上に三度身を重ねたとあります。
自分の呼吸を、心臓の鼓動を、体温を、血液の流れを子供に移し与えるかのように。これは子供が母親の胎内にあったときの状態を連想させます。胎児と母親の命が繋がり、母親の命が胎児を生かしたことを思わせます。

母親の信仰と祈りは、こどもに神様からの命を注ぎ込みます。こどもが神様からの命を受けて、生きるものとなるなら、母親も生きます。その母親の命は、子供の命を通して強められ、確かにされ、祝福されます。神様がこどもを生かされるので、母親も生かされるのです。
こどもが主イエスというぶどうの木にしっかりと接ぎ木され、枝として生きるように願って、祈る、その祈りが、母親自身を信仰のうちに生かすのです。それが信仰の母と呼ばれる人の信仰であり、生き方だと思います。

信仰の母と呼ばれるのは、個人でもありますが、教会でもあります。教会は多くの信仰者にとっての信仰の母です。信仰のこどもたちを通して、教会は信仰の母として生かされます。信仰のこどもたちが生きる時、教会は信仰の母としていきます。信仰のこどもたちが生きなければ、信仰の母として教会は生きることができません。こどもたちの命が母である教会の命です。多くの子どもたちに愛を注ぎ、命を与える教会となることによって、教会は命を受けます。こどもが生きるようになるための、母としての信仰と祈りを主は祝福してくださるのです。今こそ、今日の母の日にこそ、母としての信仰と祈りを、一人一人の信仰者が、また信仰者の母である教会として、主によって、御言葉を信じる信仰を通して回復していただきましょう。

父と子と聖霊に御名によって。