聖日礼拝 「あなたの信仰があなたを救った」
説 教 澤 正幸 応援教師
旧約聖書 民数記15章37〜41節
新約聖書 ルカによる福音書 8章 40〜56節
1992年3月8日、初めて福岡城南教会の講壇に立った日のことを、今、昨日のことのように思い出します。それから34年経って、今朝、福岡城南教会におけるわたしの最後の説教の箇所として選んだ、ルカによる福音書8章の長血の女性の癒しの箇所は、わたしが17歳の時、その箇所の説教を聞いて信仰告白に導かれた箇所でした。
わたしはクリスチャンホームに生まれ、幼くして小児洗礼を授かりました。信仰者である両親の祈りのもとに育ちました。両親から神さまに祈ることを教えられ、子供心に素直に神さまを信じて大きくなりました。しかし、中学生になり自我に目覚めるようになるにつれ、自分は本当に神さまを信じていると言えるのか、自らに問うようになりました。両親や年の離れた兄などが、神さまを信じていることはよくわかりました。でも、自分自身はといえば、両親が信じているような信仰を持ってはいないし、自分はイエス・キリストと信仰的に出会うという経験をしたこともない、だから、自分は本当の意味で信仰者とはいえないのではないかと思うようになりました。
そんなわたしに高校3年生の時に大きな転機が訪れました。それはわたしの信仰の生涯にとって決定的な出来事でした。信仰の回心と呼ぶべきことでした。その頃、わたしはAFSという交換留学生制度の試験に受かって、3年生の1学期を終えて8月から渡米して、一年間の留学生生活を送ることになっていました。いよいよ留学に出発する前の7月に福島県の磐梯国立青年の家というところでオリエンテーションが持たれたのです。わたしの信仰の回心はその時に起こりました。それについて書いた文章がありますので、少し長いのですが、それを読ませていただきたいと思います。
「オリエンテーションが始まって何日目だったか、授業のような形で、いろんな準備が進められていく中で、休み時間のような休憩時間が入っていました。そのとき、僕は何人かの人と一緒に体育館に行ってバスケットをしました。床が濡れていたのか、僕はシュートしようとジャンプしたとき、足を滑らせて転倒し、頭部を強打しました。しばし気を失うほどのショックでしたが、何とか起きあがって、チャイムでも鳴ったのか、みんなが帰るので、それについて体育館を出ました。そのとき既に意識がおかしくなっていて、みんなについて部屋に入って行くのですが、自分の座る場所がわからない、今、自分が何をしているのかがわからない、記憶喪失状態になっていたのです。
自分が記憶を喪失していることは自覚していて、何とか記憶を取り戻そうと、手掛かりをつかむために、窓の外を眺めて、ここがどこか、自分はいつ、どうやってここにきたかを把握しようとする。机の上におかれた資料やプログラムによって、時間的前後関係を理解しようとする。しかし、何もわからない、記憶を取戻す手掛かりとなるものは、何もないままに時間は経過していきました。
だんだんと孤立感が深まって行きました。自分の名前がわからない。それを聞こうにも、尋ねることができない。もし、自分がだれであるのか、自分が知らない名前を告げられたら、それを背負って生きて行かねばならないことになる、それは空恐ろしいことでした。
何となく、自分が頭を打ったような気がしたので、コブでもないかと頭に触ってみるけれど、何の外傷もない。どうしたらよいのか、次第に焦りが募ってくる中で、ふと心に浮かんだことがありました。それは(僕の両親は熱心なクリスチャンで、僕はクリスチャンホームで育ちました)自分が幼心に神を信じていたこと、しかし、自我に目覚めるなかで、それは親が信仰を持っていたのであって、自分自身が神を信じているわけではないと、神への信仰を留保する状態にあった ということでした。どうして、このときにそんなことが心に浮かんだのかはわかりません。危機的状況だったから、やはり神にすがり、祈ろうと思ったからかも知れません。でも、単純に、素直に祈れたわけではなかったのです。むしろ、いざ、祈るのかというときに、心の内にこう囁く声がありました。「お前は神に祈るつもりか。待て。お前にとってそれは最後のカードじゃないか。それを切ったら、もうお前には後がないぞ。もし、神がいなかったら、お前は発狂するほかないじゃないか。」
僕は、そのような心の逡巡のあと、その逡巡をも含めてありのままに祈ったのです。「自分は神への信仰を留保してきた。そして、今、神が存在しないなら、自分は駄目になるしかない。でも、どうか元に戻してください。」
その時です。僕の横に座っていた人が、その人の着ていた黄色いカーデガンを僕の肩に掛けてくれたのです。恐ろしくて、外界から自らを遮断せずにおれなかった僕に、外から手が差し伸べられたのです。その瞬間、ふっと、まるで走馬燈のように、自分が体育館で頭部を打って、訳がわからなくなったのではないかという思いが心に浮かんだのです。それで、こわごわと、僕の肩にカーデガンを掛けてくれた人に、「僕、頭を打ったんだっけ?」とおずおずと口を開いたのでした。そるとその人は「そうだよ、さっきから、お前がどうなっちゃったかと思って、恐ろしかった」、確かそう言ったと思います。
以上が、僕の身に起こったことです。その後、僕が神を信じて歩んできたこと、それも喜びと感謝をもって神を信じて生きてきたことは、わかってもらえるでしょう。アメリカで過ごした留学の一年間も、その後、紆余曲折を経てではありますが、牧師になったことも、すべての原体験は磐梯での出来事にあります。」
磐梯国立青年の家でこの出来事があって、わたしは家に帰り、次の日曜日いつものように教会の礼拝に出席しました。その礼拝でわたしが聞いた説教が、今日のルカによる福音書8章40〜56節の説教だったのです。その説教を聞いたとき、主イエスの後ろから衣の房に触った女性はわたしのことだと思いました。「だれかがわたしに触った」と言われる主イエスの前に、隠しきれないと思って震えながら進み出て、包み隠さず、ありのままを語った女性のように、わたしも主イエスの前に、また人々の前に信仰を告白するように促されたように思ったのでした。
そして、アメリカ留学に旅立つ直前の日曜日、1967年7月28日の礼拝で信仰告白をしました。そして、その週に日本を離れ、信仰告白後の最初の日曜日はアメリカのホストファミリーが通うバプテスト教会で迎えました。
60年前、高校生のときに聞いた説教の箇所を通して、今日もう一度、みなさんとともにみ言葉に聞きたいと思います。
8章40節
このとき、人々はガリラヤ湖の向こう岸から船に乗って帰ってこられる主イエスを出迎えようとしてカファルナウムの波止場に立っていました。「人々は皆、主イエスを待っていた」のです、
主イエスの帰りを待っていた人々の中に、切実な思いを抱きながら、主イエスを待っていた人が二人いました。
一人は会堂長のヤイロです。死にかけているひとり娘を主イエスに癒していただきたいと、主イエスの帰りを、今か、今かと待っていました。
もう一人は、十二年間もの間、いわゆる婦人病を抱えて苦しんでいた女性です。
会堂長ヤイロの懇請を受けて、ヤイロの家に向かおうとされた主イエスの行く手に群衆が立ちはだかろうとします。病人は一刻を争う状態なのに、主イエスたちはなかなか前に進めませんでした。ヤイロの家に急いで行かなければならない主イエスなのに、その主イエスが、突然、立ち止まられました。
「わたしに触れたのはだれか」。
人々は口々に自分ではないと言います。側近の弟子ペトロが言います。「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合い、へし合いしているのに、どうして、だれがわたしに触ったかと言われるのですか」。
主イエスは答えて言われます。
「確かに、だれかがわたしに触った。力がわたしから出てゆくのを感じたのだ」。
このとき、人混みに紛れて後ろから主イエスに近寄り、その衣の房に触れた女性は不治の病気を抱えていました。その病気は、ユダヤ人の社会生活、信仰生活を厳格に規律する律法によって、「汚れた病気」とされていました。その病気は人に感染する病気ではありませんでしたけれども、今日の感染症並みに扱われていました。自分が人に触れるとその人を汚すので人に触れてはならないし、また人が自分に触れるとその人が汚されるので、触れられてもいけない、それゆえ、社会から隔離されなければなりませんでした。深刻なのは、普段の社会生活から締め出されていただけでなく、ユダヤ人の会堂での礼拝からも締め出されていたことです。この女性の悲惨は三重でした。全財産を治療のために使い果たしたために無一文となった経済的困窮、依然として治らない病気を抱えた健康上の苦しみ、そして、人からも神さまからも遠ざけられ孤立するという三重の悲惨でした。
この女性は、そのような三重の悲惨の中から主イエスに近づきました。近づくと言っても、正々堂々と正面から主イエスの前に進み出ることはできなかったのです。後ろから、何も言わずにそっと主イエスの衣の房に触りました。すると彼女をずっと苦しめていた病気がたちまち癒されたのでした。
女性は奇跡的に癒されました。しかし、主イエスはその女性をそのままその場から立ち去らせようとはなさいませんでした。主イエスはその女性を追い求められたのです。
女性は自分のしたことが白日のもとに引き出されて恐れています。このとき女性のしたことは社会的に許されない行為だったからです。女性は主イエスに近づこうとして人混みに紛れましたが、人々がそれを知ったら怒って、彼女を責めたでしょう。そもそもこの女性が主イエスに触ること自体、許されない行為でした。
女性は主イエスの前に震えながら進みでました。自分のしたことを非難されるのを覚悟したことでしょう。彼女は、包み隠さずありのままを告白しました。
すると主イエスは、どうしてわたしに触って、わたしを汚したのかと言って彼女を責められませんでした。
自分のしたことを非難されると思った彼女が聞いたのは、彼女のしたことを許し、受け入れてくださる主イエスの言葉でした。主イエスの言葉はマルコによる福音書ではこうなっています。
「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」
主イエスはこの女性が主イエスの後ろからそっと近づいて、その衣の裾を触った、そのようにして救いを求めた彼女の心の思いを知っておられたのです。彼女には頼れるもの、彼女を助け、支えてくれるものは何一つありませんでした。その中から主イエスに救いを求めました。そのために主イエスに近づこうとすれば、それさえ非難され、禁じられるような中から、それでもなお主イエスに救いを求めて近づき、主イエスに触りました。その切実な願いを主イエスは彼女の信仰と呼んで、その信仰をお認めになりました。そして、その彼女の信仰が彼女を救ったと言われたのでした。
わたしは、磐梯から帰った日曜日にこの女性についての説教を聞いたときに、自分自身をこの女性に重ね合わせましたが、実は、その時だけでなく、今日に至るまでの自分の信仰生活を振り返ってみても、ずっとこの女性に自分のことを重ねて見る思いがします。
長血を患う女性についての説教を聞いた、その日の礼拝が終わった後、わたしは牧師に自分が信仰を公に言い表すよう促されたと思ったことを伝えました。牧師は日を改めて、面会日を設けてくれました。わたしは牧師に、磐梯山であった出来事、そして山から降りてきた日曜日の礼拝で聞いた説教によって、自分が信仰を告白すべきだと思ったということを話しました。話を聞いた牧師は、わたしが家を離れ、育った教会を離れてアメリカにゆく前に、信仰告白ができることは本当に良かったと言って、信仰告白の準備を進めてくれました。
そして、教会で試問会がもたれることになりました。ところが、そこで問題が起きました。長老たちから、いろいろ質問が出るのですが、わたしはそれにまったく答えられなかったのです。試問会の終わりに、牧師は、大変渋い顔をしてこう言いました。「みなさん、お聞きのように、試問の結果はまったく満足できるものではありませんでした。しかし、それでも、信仰告白をすることを認めましょう」
このときの試問会のことは、のちに神学校の入学試験の時にもう一度問題にされました。
入学試験の問題に三位一体の神について書きなさいという問題が出ました。その答案に私はたった1行、「父なる神様も、イエス・キリストも、聖霊も神様です」と書いて出したら、神学校の先生から、「そんなのでよく、試問会を通してもらえましたね。わたしだったら、絶対、信仰告白をすることなど認めませんよ」と言われてしまいました。
信仰告白式のなされた当日の礼拝でも、信仰告白に先立って誓約を求められましたのですが、牧師から「あなたは日本キリスト教会の信仰の告白を受け入れますか」と聞かれたとき、わたしは、それまでに一度も「日本キリスト教会の信仰の告白」なるものを見たことも、読んだこともなかったのです。頭の中が真っ白になりました。でも、仕方がないので、「はい」と答えました。
信仰告白をしてクリスチャンとしての歩みをスタートしたとき以来、考えてみれば、不十分さ、欠け、そんなことでは信仰者とは言えないのではないか、ということがずっと付き纏ってきたように思います。牧師になったからも、それで牧師として通用するのかと人から言われるだけでなく、自分は牧師として失格ではないかと自分自身を責めざるを得ないことの連続だったように思います。
しかし、主イエスはわたしたちのことを、いつも、すべてご存知なのです。ご存知の上で、あなたのその信仰でいいのだと言ってくださるのだと思うのです。不十分でしかない信仰でも、それを主イエスがわたしたちの信仰と認めてくださって、「そのあなたの信仰があなたを救った」と言ってくださるのです。それはわたしたちにとってなんと大きな喜びと慰めに満ちたことでしょう。
この女性の癒しのことで主イエスはどれほどの時間、そこに立ち止まられたのでしょうか。そうしているうちに、ヤイロの家から使いの者がやって来て、ヤイロの娘の訃報がもたらされました。
「お嬢さんはなくなりました。この上、先生を煩わすことはありません」
間に合わなかった。手遅れになってしまった。この上、ヤイロの娘を救う手立てはもう残っていない。諦めるほかはない。
それを聞いて、主イエスはヤイロに言われます。
「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」
主イエスはヤイロが信じるなら、12年間、長血を患っていた女性に主イエスが言われたのと同じことを、すなわち、「あなたの信仰が、あなたを救った。安心して行きなさい」という言葉をヤイロに対しても言うことになるだろうと言われるのです。
救急医療の現場で「トリアージ」という患者の選択が行われることがあると言います。
大事故や災害の医療現場で、多数の傷病者が出ているなかで、容態や緊急度に応じて優先順位を判断し、治療に当たることを「トリアージ、患者の選択」というのだそうです。1人でも多くの人命を救うため、処置を施しても救命の可能性がない傷病者の治療をあきらめるといった重い決断を迫られることもあると聞くと、緊急医療の現場で働く人たちの精神的重圧の大きさを思わずにおれなくされます。
今日読んでいる箇所では、長血を患う女性の癒しが優先されたために、ヤイロの娘の救いが放棄される結果となるという、ある種のトリアージがなされたと言えないでしょうか。
神さまの救いにも、もはや手遅れで、諦めるしかないことがある。それが厳しい現実であり、そうなったときはもう受け入れるほかはない、そう思うとしたら、それはこの時のヤイロが直面した厳しい現実に通じるものだと思います。
しかし、主イエスがヤイロに言われた「恐れるな、ただ信じなさい」というお言葉は、そうではない、神にとっては遅すぎることはないという意味ではないでしょうか。
日本という異教社会では、家族の中から自分が最初のクリスチャン、クリスチャンとしての初穂となった人たちが、自分の両親や兄弟姉妹たちの信仰に導かれることを願ったけれども、結局、家族は信仰を持たないままなくなったというケースが多くあると思います。家族の救いは自分の願いだったけれど、もう遅い、今となってはその望みは残されていないと思う場合は少なくないのではないでしょうか。
ヤイロの娘ももう死んでしまったのです。結局間に合いませんでした。
しかし、主イエスは言われます。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」
それを聞いて、人々は主イエスをあざ笑いました。
マタイ、マルコの福音書は、このところを、主イエスはあざ笑う人々を部屋から追い出し、両親と三人の弟子だけを連れて中に入ったと書いています。そして、娘の手をとって起き上がらせたのです。
死を前にしてすべてのシャッターは降ろされてしまった。もう希望は残されていない。そう思って諦めようとするものに対して、主イエスは言われます。
「遅すぎることはない。信じなさい。」
どのような救いが望みとして残されているのか、わたしたちにはわからなくても、「恐れるな、ただ信じなさい」と言われる主イエスは、父なる神さまがわたしたちの理解の及ばない、わたしたちが考えもしない、想像もしないことを、わたしたちを愛する愛のゆえに備えていてくださることを信じなさい、全能の父なる神さまにできないことは何一つない。神さまがわたしたちのために良きこと、素晴らしいことをしてくださり、神様の栄光をわたしたちが心から喜び、讃め称えるようにしてくださることを信じなさいと言っておられるのだと思います。
主イエスは、長血を患っていた女性に対して言われた御言葉、またひとり娘を失ったヤイロに言われたのと同じ御言葉を、今日、わたしたちにも言われます。
「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」
父と子と聖霊の御名によって。
