聖日礼拝 「生きることはキリストです 」
説  教      伊藤健一 長老
旧約聖書  イザヤ書52章13〜15節
新約聖書  フィリピの信徒への手紙1章12~26節

 

先週まで、私たちはルカによる福音書の講解説教を聞いてきました。その最後である24章52,53節にはこう記されていました。「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」また、マタイによる福音書の最後である28章18~20節はこう書かれています。「イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」これらの箇所からは、その後、主イエスを救い主と信ずる信仰、キリスト教信仰が宣教され、拡大していくことが予想できるかと思います。しかし、実際、主イエスが世を去られた後、キリスト教宣教はどうなっていたのでしょうか。それを知るカギとなるのは、ルカ福音書の続編である使徒言行録、また新約聖書に多く集められている書簡、中でもパウロによる手紙であろうと思います。私たちはこれから、フィリピの信徒への手紙から、毎回1つの章を取り上げ、その主題を解きほぐしていきたいと思います。

本日は初回ですので、背景的なお話から始めたいと思います。フィリピの信徒への手紙は、いつ、どこで書かれたのでしょうか。1章13節には「監禁されている」と書かれています。当時のローマ帝国のクラウディウス帝は、現状維持の方針から、ユダヤ教の伝統に留まることを求めました。ローマ皇帝崇拝が求められるこの国にあっても、ユダヤ教の枠内にとどまる信仰活動をする限りは迫害しない、という意味です。そんな中で、主イエスをキリストと告白するグループは、公然とその勅令に反する活動をして行っていたのです。パウロがエフェソに滞在していた52年~55年頃、ちょうどコリントの信徒への手紙の第一を執筆した後、そして第二コリント書の執筆をする前の期間に、彼は逮捕されてしまいました。彼は死刑も覚悟していましたが、幸い、その後釈放されました。この投獄期間中に、フィリピの信徒への手紙は書かれたと言われています。ただ、ローマで投獄中に書かれたという説もあり、その立場に立つと、最晩年、58年~60年頃に書かれたと想定されます。いずれにせよ、投獄中の期間に書かれたことになります。その割には、この手紙には「喜び」、「喜ぶ」という言葉が多用されています。わずか4章からなる短い手紙の中に、16回も登場するのです。投獄され監禁されていたパウロにとって、何が喜びとなっていたのでしょうか。そのためには、彼の生涯についての話から始めなければなりません。

新約聖書には27巻の書物が含まれていますが、パウロの名による手紙がそのうちの13巻を占めています。巻数で約半分、分量にして4分の1を占めています。このうち、パウロ本人の手による真筆の書簡は7巻、残りはパウロ学派と呼ばれるパウロの弟子たちが、先生の名前によって書いた手紙と言われ、それらは第二パウロ書簡、第三パウロ書簡と呼ばれています。これらの手紙を書いた弟子たちの働きも、パウロに劣らずとても大きかったと思います。しかし、それらを除いたパウロの真筆の7つの書簡だけに限っても、新約聖書の5分の1の分量を占めていますから、パウロの存在、そしてその影響力の大きさが窺えます。この7つの書簡は、50年代の初めから中期にかけて書かれています。パウロは主イエスとほぼ同世代、若干年下と考えられていますから、50年代の初めであれば、40歳台の半ばから後半ということになります。

パウロはなぜ、その年齢になって初めて手紙を書き始めたのでしょうか。その背景には、ユダヤ教徒にとってのアイデンティティの指標と言える割礼と食物規定の問題がありました。ヘブライ語、正確にはヘブライ語の方言にあたるアラム語を話すユダヤ人キリスト者は、依然として割礼を行ない、食物規定を守っていました。しかし、ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者や異邦人キリスト者たちは、割礼を受けていませんでしたし、また食物規定も守っていませんでした。この両グループが一堂に会して食事を共にするとき、問題が起きることは明らかでした。この問題は使徒言行録15章に記されていますが、最終的な結論はガラテヤ2章7~9節でこう記されています。 「それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。」

こうしてこの問題はけりがついたはずだったのですが、これだとクラウディウス帝が定めた秩序を乱すことになります。それを回避するために、ユダヤ主義者たちは、再びこの取り決めを反故にしようとしました。このような状況の中で、パウロは手紙と言う文学形式を新たに創設して、この論敵たちに立ち向かっていったのでした。しかし、実はこの問題の根源は、もっと以前から存在しており、そこでもパウロの関りがあったのです。一体パウロとは、どのような人物で、そこでの関りとは何だったのでしょうか。

パウロは、自分のことをフィリピの信徒への手紙3章5~6節でこう語っています。「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。」パウロは、その後半生をキリストの使徒として仕えましたが、それに先立つ人生の前半をファリサイ派として過ごしていました。彼は自分が生まれながらにファリサイ派だったわけではなく、律法を学んだことにより後天的にファリサイ派となったと主張しています。ローマの信徒への手紙7章9節には、「わたしは、かつては、律法とかかわりなく生きていました」と書かれていて、そのことを裏付けています。彼は、エルサレムで律法を学ぶことを決意したとき、ユダヤ教のいくつかの流派を試した後、ファリサイ派を選んだのではないかとも言われています。ここから見えてくるパウロの姿は、自分のアイデンティティを求めて道を模索する求道者の姿です。

その求道の姿勢は、さらに深化し、「熱心さの点では教会の迫害者」と呼ばれるまでになります。ガラテヤの信徒の手紙1章14節ではこう記しています。「先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。」ここで言われている「熱心」には注意が必要です。熱心とは、単に情熱的に一所懸命に努力することを指すのではなく、原理主義と直結する思想なのです。熱心とは、イスラエルの独自性、すなわち神との特別な契約をまもり、宗教的で民族的な境界線を保持するためならば、イスラエルを危険にさらしイスラエルの境界線を犯す者を根絶やしにするというものなのです。ファリサイ派となり、さらに熱心に求道して熱心を極めていったこの時のパウロは原理主義者、すなわち極端なまでの民族主義者、国粋主義者となっていたのでした。それが、ヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者たちには一切手を出さず、ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者や異邦人キリスト者に対してだけ、すなわち律法を遵守せず割礼を行なわず、異邦人信者をうけいれるキリスト教運動だけを弾圧するために、エルサレムからわざわざダマスコまで出向いて来ていた理由でした。

そのパウロに回心の出来事が起きる次第が、使徒言行録9章1~9節に記されています。ダマスコに近づいたとき、天からの強い光に打倒されたパウロは、天からの声を聴きます。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。」パウロが「主よ、あなたはどなたですか」と問うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」との応答が与えられます。ここから彼の回心が始まるのですが、原理主義者、すなわち民族主義者、国粋主義者となるほどに熱心に律法を守り、しかも「律法の義については非のうちどころのない者でした」というほど徹底的に律法を遵守していたはずのパウロも、実際にはその一方で、律法に対する批判が彼の心の中に芽生え始めていたのだと思います。パウロは、自分がキリスト者を迫害しているのが正しいのかどうか、疑いをもっていた可能性があり、一時的に原理主義者となっていたものの、この頃にはもとの穏健なファリサイ派に戻っていたと思われます。自分が迫害していた、律法を遵守しない異邦人キリスト者たちの存在が、律法への疑いのきっかけだったのかも知れません。あるいは、パウロ自身、律法を徹底的に守る生活を貫いていても、その先におられるはずの神さまの姿が見えていなかったことに気づき始めていたのかもしれません。のちにパウロはローマの信徒への手紙7章5~6節でこう述べています。「わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました。しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。」

こうして主イエスとの出会いを果たし、その歩みを180度転換させられたパウロは、その後は異邦人への宣教を行なう使徒となっていきました。この時の回心は、異邦人への使徒としての召命でもあったのです。それまでは、申命記21章23節に「木にかけられた者は、神に呪われたものだからである」を根拠に、木にかけられた、すなわち十字架にかけられた人物を救い主と崇めるキリスト者を、甚だしい律法違反者として徹底的に迫害していたパウロでしたが、回心後は逆に、ガラテヤ書3章13節にあるように、「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです」と、正反対の見解を表明する者へと変えられていったのでした。

パウロは、生前の主イエスとの接点は持っていなかったと思われます。彼の書簡の中に、生前のイエスがなさった奇跡や説教などへの言及がなく、もっぱら十字架のわざのことが書かれているのがその理由です。それでも彼は言います、自分は主イエスを見た、と。第一コリント書9章1節で彼はこう語ります。「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか。」

それでは彼が見た主イエスはどのような姿であったのでしょうか。それは、「十字架につけられたキリスト」でした。第一コリント書1章22~24節で彼はこう言います。「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」ここで「十字架につけられた」と訳されている動詞は、現在完了分詞です。ギリシア語の現在完了形は、その結果が現在まで及んでいることを表現する時制です。約20年前の主イエスの十字架のわざがこの時のパウロの時まで、そしてさらに現在の私たちの時まで継続していることを示している表現形態なのです。私たちも、この十字架につけられたキリストと出会って、教会に導かれたのではなかったでしょうか。

人生は旅に例えられます。旅と言えば、英語ならjourneyを連想するかもしれませんが、ここではむしろ、pilgrimageという言葉の方が適切でしょう。「巡礼の旅」です。パウロは、自分のアイデンティティを求めてファリサイ派神学を学び、一時的に原理主義者となりキリスト者たちを徹底的に迫害しました。しかし十字架につけられたキリストとの出会いによって、「イエス・キリストの僕」という本当のアイデンティティを獲得することができたのでした。その状態を、彼は、ガラテヤ書2章20節でこう表現しました。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」

フィリピの信徒への手紙に戻りましょう。このとき投獄中のパウロに2つの道が示されています。このまま牢獄の中で生き続けるのか、死刑になって主イエスのもとへ行くのか、という選択肢です。もちろんこれは、彼自身が選択できるものではありません。そのテーマが1章21~24節では交差配列法という表現法によって示されています。21節の「生きるとはキリスト」は、22節では「肉において生き続ければ、実り多い働き」ができると言い換えられ、さらに24節では「肉に留まる方が、あなたがたのためにもっと必要です」と言い換えられています。また21節の「死ぬことは益」は、23節で「この世を去って、キリストと共にいたいと熱望」していることと同義です。パウロは、死を恐れていません。むしろ「死ぬことは益」とさえ言っています。しかし同時に、彼は主イエスから求められていることがらを知っています。なぜなら、もはや生きているのは自分ではなく、「キリストがわたしの内に生きておられる」からです。彼は生きて務めるべき課題があることを認識しています。それはユダヤ主義者との対決です。そのテーマは第3章で見ることになります。彼はこの課題を胸に、気持ちを引き締めています。それによって気落ちすることもなければ、そこから逃げようとする気持ちもありません。なぜなら、「キリストがわたしの内に生きておられる」からです。だから、善意からであれ、また悪意からであってさえ、キリストが宣教されるのであれば、私はそれを喜ぶ、と言い切ることができるのです。

パウロにとって、「生きることはキリストである」とは、自分の全存在、全生涯がキリストのものだということなのです。自分の中にキリストが生きておられるのです。彼は、単なる挨拶としてではなく、全身全霊をもって、自分が「キリスト・イエスの僕」であると認識しています。これこそ、彼がその生涯の歩みを経て到達した、真のアイデンティティだったのです。そしてそれこそが、彼の「喜び」の源泉であったのです。その同じ恵みはフィリピの教会の人々にも、そして私たちにももたらされています。キリストは、私たちのうちにも生きておられます。私たちも、自分の置かれている環境がどうであれ、そのことゆえに喜ぶことができます。そのことをパウロから教えられていると思うのです。

父と子と聖霊の御名によって。

主なる神さま、御言葉の恵みをいただき感謝いたします。主イエスは私たちのために十字架にかかってくださいました。そして十字架につけられたキリストとして、私たちと出会ってくださいました。主イエスを信じる者たちを迫害さえしていたパウロが、キリストの使徒、異邦人への使徒として召されたのは、主イエスが出会ってくださったからです。私たちも同じく、十字架につけられたキリストと出会い、教会に連なるものとされました。主が私たちの内に生きていてくださることは、私たちにとって何事にも代えがたい喜びです。もはや私ではなくキリストが私の内に生きておられる。この恵みと喜びを常に覚え、困難な中にあってもその信仰によって勇気づけられ、力強く歩んでいける者となりますよう、お導きください。そして、今日この礼拝に集っている一人一人を祝福してください。

主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。