聖日礼拝「山に逃げなさい」
説  教 澤 正幸 応援教師
使徒書簡 コリントの信徒への手紙(一)10章 11~13節
福 音  書 ルカによる福音書 21章 20〜24節

20〜21節

紀元70年、主イエスがこの言葉を語られてから約40年後にエルサレムはローマ軍に包囲され、滅亡しました。神殿が炎上したのが70年8月30日、それから一ヶ月後の9月26日に都全体は完全な滅亡を迎えました。
先に、主イエスが見事な石と奉納物で飾られているエルサレム神殿の麗しさに見取れている人に「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」と言われた予言どおりに、エルサレム神殿は崩壊し、神殿もろともエルサレムはローマ軍によって破壊し尽くされました。
24節に「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる」と書かれている通りのことが起こったのでした。

エルサレムに滅亡が訪れた日に、主イエスの予言の言葉を聞いた世代の人々はまだ生きていました。主イエスのこの言葉を覚えていた人々は、エルサレムを脱出し、ヨルダン川の東岸にあるぺレアへと逃れて行きました。

主イエスのこの御言葉が命と死、救いと滅びの分かれ道になりました。
「都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない」。
戦争が起きて外国の軍隊が攻めてきたとき、地方に住んでいる人々は難民となって、城壁によって守られている安全な都のなかに逃げ込もうとします。ましてや、エルサレムには、苦難の時の逃れ場である神殿があります。エルサレム神殿こそ、神の民イスラエルを神が守ってくださるとの信仰の砦でした。実際、熱心党と呼ばれる人々はエルサレムとその神殿を死守しようとして、そこに立てこもったのでした。
こうして熱心党の人たちをはじめ、神からの助けを期待して多くのユダヤ人がエルサレムにとどまって、最終的にエルサレムと共に滅亡していったのでした。主イエスの弟子たちは戦いの迫るなか、共に戦おうとしなかったために熱心党から迫害され、命の危険にさらされましたが、主イエスの言葉に従ってエルサレムを離れて行きました。

22〜23節

ローマ軍の攻撃によってエルサレム神殿が破壊され、エルサレムが滅亡させられたことは、神の怒りがエルサレムとその神殿に下ったのであり、神が報復されたのだと言われます。しかし、そもそも何に対する報復なのでしょうか。エルサレムが一体どんな罪を犯したためにこれほどの怒りを神さまが下されたのでしょうか。

間もなく8月を迎えます。今年は敗戦から80年目の年です。80年前の8月9日、長崎の浦上に原爆が投下されたとき、浦上天主堂はそれこそ、一つの石も他の石の上に残ることもないほどに原爆によって完全に破壊し尽くされたのでした。浦上は隠れキリシタンの地です。原爆が投下されたとき浦上地区にはたくさんのキリシタンの子孫が住んでいました。被爆者の中には明治の初め、浦上四番崩れと呼ばれる明治政府による迫害によって、遠い地に連行され、大勢の殉教者を出す中で、かろうじて信仰を捨てないで生きて戻ってきた人がいたのです。浦上の信徒たちは、原爆を最初、自分たちの先祖が隠れキリシタンの時代に、踏み絵を踏み続けてきたその罪に対する罰が神様から下されたのではないかと思って、恐れたと言われています。

戦前の大浦天主堂、原爆で破壊されてしまった会堂は、当時、東洋一と謳われるほどに美しく壮大な礼拝堂でした。それが原爆で破壊し尽くされてしまったことは、エルサレム神殿の崩壊と同じほどの衝撃を信仰者にもたらしたでしょう。まさに世の終わりが来た、これで全ては終わってしまったと思っても不思議でないほど決定的な出来事だったのではないでしょうか。

でも主イエスは、どれほど衝撃的な出来事であろうと、もはや自分たちには将来は残されていないと思うほど深刻な出来事であったとしても、それが終わりではないのだと言われました。9節で「戦争とか暴動のことを聞いても、怯えてはならない。こう言うことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」と言われていましたし、他の聖書の箇所では、戦争、地震、疫病、飢饉といったことが起こっても「これらは産みの苦しみの始まりである」と言われています。

エルサレムの崩壊、滅亡、それ自体は恐ろしい出来事であっても、まだ終わりではない。24節後半に、「異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」とあって、エルサレムの崩壊した後、「異邦人の時代」が続く、そして、その「異邦人の時代」がついには完了する日が来ると言われています。そのようにして最終的に終わりの日が来るのです。その最終的な終わりの日は、25節以下に書かれている「あなた方の解放の日」であり、神の国が訪れる日であり、救いの日なのです。人の子が力と栄光に満ちて雲に乗って来られる、イエス・キリストが再臨される終わりの日は、すべての人にとっての解放の日、救いの日、喜びの日だと言われています。

主イエスは32、33節で「はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と言われます。
終わりを思わせる出来事、それらが起こっても、それらは究極的な終わりの一歩手前の出来事であり、それらは終わりではないのです。それらの出来事がすぎてゆく中で、最後の最後まで過ぎゆくことなく残る言葉がある、それが主イエスの言葉であり、そしてそれは「救いの言葉」なのです。

今日の説教に「山に逃げなさい」という題をつけました。先ほど、使徒書簡で読まれた御言葉は、「逃れの道」が備えられていると教えています。
わたしたちが最終的に逃れる道とは何でしょうか。それはどこでしょうか。教会でしょうか。クリスチャンのたくさん住んでいるキリスト教国でしょうか。聖書はなんと言っているのでしょうか。
36節には「あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」と書かれています。わたしたちが最終的に逃れるところ、それは教会でもなければ、キリスト教国でもなくて、人の子の前だと聖書は言います。

では、人の子の前とはどこでしょうか。わたしたちがマタイによる福音書25章で学んでいるように、飢えている人に食べさせ、渇いている人に飲ませ、裸の人に着せ、病気の人を見舞い、家のない難民を家に迎え入れる人は、主イエスのいと小さい兄弟の一人を受け入れることによって、人の子の前に立つのだと思います。
人の子のもとに逃れるとは、それゆえに主イエスのいと小さい兄弟の一人を受け入れつつ、人の子の再臨を待って生きることだと言えます。

わたしたちが逃れて行くのは人の子の前であるということは、それゆえに、わたしたちは自分の命が守られる、安全が保障される場所に逃れて行くのではないと言うことをしっかりと覚えておきたいと思います。
教会が逃れ場なら、教会を守らなければならないでしょう。しかし、わたしたちはエルサレム神殿に立てこもった熱心党のように、教会を死守しようとする必要はないのです。
教会を死守しようとして、教勢を維持し、建物を維持しなければならないと考える必要もないのです。建物は必ず失われるからです。
戦後80年経って、再び、この日本の国を守らなければならないと人々が言う時代がやがて来るでしょう。でも、国ばかりでなく、そもそもわたしたちの命を守ろうとすることに対して、主イエスが言われた言葉をわたしたちは忘れてはなりません。

主イエスは、はっきりとこう言われました。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」マルコによる福音書8章35節

わたしたちには過ぎ行かない主イエス・キリストの救いの言葉、福音があります。この福音、救いのみ言葉を守りましょう。主イエスに従うことこそが、自分だけでなく、すべての人を救う、道であり、真理であり、命なのです。

いまから守る聖餐式は主イエス・キリストの命とそのみことばに預かるよう、主イエスがわたしたちのために備えてくださった食卓です。食卓に進み出るということは、人の子の前に立つということです。わたしたちは、お互いを、主イエスのいと小さい兄弟姉妹として、受けいれあい、愛し合い、養いあう、父なる神の子どもたち、神の家族であることを感謝し、喜んで、この食卓を囲みます。今日、ここで囲んでいる食卓は終わりの日に神さまが地の果てばてから人々を神の国の食卓に集めてくださることの前触れです。終わりの日を喜ばしく待ち望みつつ、食卓につらなりましょう。

父と子と聖霊の御名によって。