聖日礼拝『逃れの町』 説教 澤 正幸牧師
旧約聖書 申命記19章1〜13節
新約聖書 ルカによる福音書10章25~37節

 

南フランスに人口わずか3千人のル・シャンボン・シュール・リニョンという小さな村があります。そこは第二次世界大戦中、ナチスのホロコーストを逃れようとして避難してきた5千人のユダヤ人を匿い、救った村でした。その村はカトリック国のフランスではとても珍しい、フランス人口の1%しかいない少数派のプロテスタントの村でした。

ユダヤ人がその村に逃れてきたときの様子をその村のプロテスタント教会のトロクメ牧師の夫人は次のように伝えています。
「ドイツ人の女の人が牧師館にやってきたのです。夜でした。ドイツ国籍のユダヤ人であること、北フランスから来たこと、危険が迫っていること、ル・シャンボンでは誰かが助けてくれると人づてに聞いたことなどを話しました。入ってもいいかと聞くので、「もちろんですとも、さあ、どうぞお入りください」と答えました。雪まみれでした。小さな靴を履いて、それだけでした・・・」

ヨーロッパ中にナチスによるホロコーストの嵐が吹き荒れていました。その嵐の中、多くのユダヤ人たちが逃れる場を求めて、さまよってしました。雪まみれで、小さな靴を履き、何も持たずに戸口に立っていたユダヤ人の女の人はまさにそのような一人でした。ナチスによる迫害を逃れて、その迫害の危険から自分と愛する家族を守るために、身を寄せることのできる安全地帯、逃れ場はヨーロッパ中探してもどこにもないほど、ユダヤ人たちは追い詰められていました。

先ほど読んだ良きサマリア人の喩え話の最後で、主イエスは、誰が強盗に襲われた人の隣り人になったかと問われましたが、その問いは、こう言い換えることができないでしょうか。誰が強盗に襲われて助けを求めた旅人の逃れ場になったかと。

申命記19章に逃れの町のことが出てきます。これは4節にあるように、「意図してでなく、積年の恨みによるのでもないのに」、偶然に起こった出来事によって人の命が失われて、人の血が流されてしまった場合、殺される必要のない人が、復讐を目論む人の手から逃れて生き延びる場所が、イスラエルの中に逃れの町として選ばれるという話です。

もともと、そのような逃れの場所として、イスラエルでは第一に主の聖所、神殿がありました。犯罪人がそこに逃げ込めば守られるところをサンクチャリー、聖域と言いますが、神殿がそれでした。そこには主の祭司がいました。

良きサマリア人の話でも、傷ついた旅人が最初に助けを求めたのは祭司でした。しかし、この話に出てくる祭司は助けを求める旅人の逃れ場とはなってくれませんでした。

次にイスラエルの中で逃れ場として定められていたのは、申命記19章に出てくる「逃れの町」でした。この町はレビ人、イスラエルの12部族のうち、主の神殿に奉仕する部族として選ばれていたレビ族の領地にありました。

良きサマリア人の例えで旅人の逃れの場となることを期待された2番目の人はレビ人でした。でもこの話に出てくるレビ人も逃れ場とはならなかったのです。

そして、旅人が求めていた逃れ場となったのは、イスラエルで逃れ場となるはずだった祭司でも、レビ人でもない、そもそもイスラエルでもない、異邦人のサマリア人だったという話なのです。このサマリア人は傷つき倒れているユダヤ人の旅人にとって同胞ですらないので、そもそも逃れ場であることを期待できない人でしたが、その人が逃れ場となってくれたのです。

聖書がここで、逃れの町がイスラエルに選び分けられなければならないと定めている理由は、10節に書かれています。
「あなたの神、主があなたの嗣業として与えられる土地に罪なき者の血が流され、その責任があなたに及ぶことがないようにするためである。」

サマリア人の話に沿って言えば、強盗に襲われた旅人が命を落とすなら、そのとき、神さまが嗣業として与えられた土地に罪なき者の血が流れることになります。しかし、この旅人のために逃れの町となって、この人を助けるなら罪のない人の血が流されることを止めることができます。でも、傷ついた人に助けの手を差し伸べず、その人のために逃れの町となることをしないなら、そのとき、それをしないことによって罪のない人の血が流されるという悪事に加担することになります。悪事がなされているのを見ながら、沈黙することによって、悪事に加担するのと同じ罪を犯すことになります。罪なき人を殺そうとしたのは強盗ですが、強盗によって襲われた人を助けない人は強盗の共犯者であり、10節にある責任、罪なき者の血が流されたことの責任が、その人に及ぶのです。

良きサマリア人の例えに出てくる祭司、レビ人は旅人を襲った強盗の共犯者となります。旅人の罪なき血が流される結果となった場合、その責任は、旅人を助けようとしなかった祭司、レビ人に及ぶのです。

良きサマリア人の話に出てくる旅人は、自分が強盗に襲われるかもしれないと思っていたでしょうか。ウクライナの人は、自分の住む街にロシアの戦車が攻め込み、ミサイルが容赦なく飛んでくると数週間前までは思っていなかったようです。でもいざ戦争が始まったらどこに逃げてゆけば良いのでしょうか。ウクライナから難民となって国外に出た人たちが今、百万人を超えたと言われています。国外に避難できない人は少しでも安全な場所に身を避ける他ないのでしょう。

でも果たして逃れていった先で、避難民を「さあ、お入りなさい」と言って暖かく迎え入れてくれる人がいるのでしょうか。私たちの国、私たちの街、私たちの教会、私たちの家は逃れの町になれるのでしょうか。

南フランスの小さなプロテスタントの村、ル・シャンボンがユダヤ人の逃れの町になったのはどうしてだったのでしょうか。雪の夜、教会の牧師館のドアを叩いたユダヤ人の女性はそこが逃れの場だと知って、そこに来たのでしょうか。そこの扉が冷たく閉ざされることはないと知っていたのでしょうか。
牧師夫人のマグダ・トロクメも、また彼女のようにユダヤ人を家の中に迎え入れた多くの主婦たち、家庭の台所の責任を持つ女性たちは、なぜ、ユダヤ人を迎え入れ、逃れ場を提供したのか、それは危険なことであり、経済的な見返りはなく、大変なことだったに違いなく、申し訳ないけれどお断りしますと言っても不思議ではなかった、それは旅人を助けなかった祭司やレビ人にしても旅人を助けなかった正当な理由を主張できたのと同じことでした。

でも、彼女たちはそうはしませんでした。助けの手を広げて、進んで難民を迎え入れました。
あとで、どうして、危険をも顧みずに受け入れたのかと聞かれると、皆、一様に、一旦絶句してこう答えます。なぜって、当たり前でしょう。助けるのが当然ではないですか。

罪なき者の血が流されることを一体、誰が望むでしょうか。血を流される本人も、周りの人も誰一人それを望みません。そしてそれを誰よりも強く望まれないのは、罪なき者の血が流されようとするときに天からノーと叫ばれるのは、すべての人間の造り主である神さまに他なりません。あなたは殺してはならない。

もし、罪なき者の血がながされそうとするときに、助けの手を差し伸べて、その人を救おうとしないなら、私たちは神の御心と、望みに反することになります。神さまは罪のない人の血がたとえ一滴であっても、神さまが造られたこの大地の上に流されることを望まれないのです。それゆえに、私たちが逃れの町となること、罪のない人の血が流されることのないように、難民を迎え入れることを望まれます。

その逃れ場はどこにあるのでしょうか。それは、遠く外国に逃れてゆかなければ得られないのでしょうか。遠くまでゆけないお年寄り、病人、障がい者、お金のない貧しい人の逃れ場は、その人たちのすぐ側に、身近なところにないなら逃れ場になりません。もし、私たちの心が、その人たちを心から憐れみ、助けを求める人たちの逃れ場と変えられるなら、そのとき、遠い外国ではなく、この日本という国、この福岡という町、この福岡城南教会という教会、そして私たち一人一人の家が、助けを求めている人のすぐ近くにある逃れ場と変えられうるのではないでしょうか。

主イエスは言われました。私の小さい兄弟であるこれらの人々の一人が、空腹のとき食べさせ、渇いていたとき飲ませ、裸でいたとき着せ、泊まるところがなかったとき宿を貸し、病気をしていたとき見舞い、獄に囚われて孤独でいたとき訪ねてくれたのは、私にしてくれたことなのだと。

どんなときにも、私たちの逃れ場になってくださる主イエスによって、私たちもすべての人の逃れ場になりましょう。

父と子と聖霊の御名によって