降誕節礼拝 「アウグストゥスとイエスのどちらが偉いか」 説教 澤 正幸牧師
旧約聖書 イザヤ書 9章1~6節
新約聖書 ルカによる福音書 2章1~7節  

 

 

2章1〜3節 ヨーロッパの古い教会には、祭壇の背後に二枚折の板に絵が描かれた、二連祭壇画というものが置かれているそうです。ちょうど、その二つ折りの絵が描かれた二連祭壇画のように、ルカによる福音書は、冒頭から、一方にバプテスマのヨハネのことを、もう一方に主イエスのことを描き、記してきました。
すなわち、ルカによる福音書はその冒頭に天使ガブリエルが神殿で、祭司ゼカリアにバプテスマのヨハネの誕生を告げる場面を描き、ついで、天使ガブリエルがガリラヤのナザレに住むマリアのもとを訪れた受胎告知の場面を描き、それに続けてバプテスマのヨハネの誕生の場面が描かれ、最後に、今日、わたしたちが読んでいる主イエスの誕生の場面を記しています。
ゼカリアへのみ告げがあってから9ヶ月目に、エリサベトが臨月を迎えて、バプテスマのヨハネを産み、それから6ヶ月後に、マリアも月が満ちて、主イエスを産みました。
ヨハネも主イエスも、同じように、天使ガブリエルの告げた通りに、時が満ちるに及んでこの世に生を受けました。しかし、ルカは二人の誕生の時については、違った仕方で記していることに気付かされます。

バプテスマのヨハネに関しては、1章5節で「ユダヤの王、ヘロデの時代」と記しています。それに対して、主イエスの誕生のときは、2章1節で「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」と書いているのです。
バプテスマのヨハネは、イスラエルの民が長く待望してきた救い主のために道備へする預言者として生まれて来る人物でした。ですから、ヨハネの誕生が、神の民であるイスラエルに関わる出来事として、「ユダヤの王、ヘロデの時代」にと書かれるのは理解できます。それに対して、主イエスの場合も、主イエスは神の民イスラエルに約束された救い主として生まれてこられるのですから、ヨハネの時と同じように、イスラエルの民の範囲の中と申しますか、神の民イスラエルの歴史と時代の中に位置付けられるのが相応しいと考えられるのではないかと思うのです。
しかし、ルカは主イエスが、神の民イスラエルに約束された救い主として生まれてこようとしていたにも関わらず、その誕生の時を、ローマ皇帝アウグストゥスの統治と結びつけているのです。それによってルカは、神の民イスラエルに約束されていた救い主が、イスラエルの救い主であるだけではないこと、このお方は全世界の救い主として生まれておいでになることを表そうとしているのだと思います。

今、主イエスが神の民イスラエルを救う救い主であるだけでなく、全世界の救い主として生まれて来られたと、ルカが記していると申しましたが、では、主イエスが救おうとする世界とは、いかなる世界のことでしょうか。主イエスが生まれてこられた時代、全領土を統治していたのはローマ皇帝アウグストゥスでした。皇帝アウグストゥスの時代、ローマ帝国の版図は、北はイギリス、ライン川流域から、ドナウ川流域まで、全ヨーロッパを支配し、さらに北アフリカからパレスチナに及ぶ地域を支配下に収め、地中海はローマ帝国の湖となり、さらにアラビアにまで及んでいました。アウグストゥスはこの巨大な大帝国を動かすだけの強大な権力と武力をもっていました。皇帝アウグストゥスの勅令によって、全帝国の民草は右に左に命じられるままに動かされるほかありませんでした。
こうして、広大なローマ帝国の片隅に生きていたマリアとヨセフは、人口調査による登録をするために、ガリラヤのナザレを出てユダヤのベツレヘムへと赴かなければならなかったのです。彼らは、そして、彼らのもとに生まれてきた主イエスも、無力な民衆の一人だったのです。

今日の説教に「アウグストゥスとイエスのどちらが偉いか」という題をつけました。この題を読まれた方の中には、かつて戦争中に、日本の教会の牧師達、クリスチャンたちが憲兵や特高から「天皇とキリストとどちらが偉いのか」と問われた、その問いを連想なさった方がおありと思います。当時のクリスチャンたちはこう問い詰められて、とても苦しい思いをさせられました。あの時代、それにどう答えればよかったのか、また、万一再びそのような時代が来たら、わたしたちはなんと答えたら良いのか、今なお戸惑いを覚えさせられます。

でも、わたしたちがどう答えたら良いかを考える前に、聖書はなんと答えているでしょうか。今日読んでいる箇所で、ルカは「アウグストゥスとイエスのどちらが偉いか」という問いにどう答えているでしょうか。その答えは明白ではないでしょうか。

ローマ皇帝アウグストゥスは、他の誰も彼に並び立つことができないほどの軍事力と政治的権力と経済的富を一身に帯びて、帝国に君臨していました。それに比べるなら、主イエスには軍事力も政治的権力も経済的富も、何一つありません。軍事力、政治的権力、経済的富を誰よりも多く保持しているゆえに、アウグストゥスが一番偉いのであれば、主イエスはまったく偉くありません。

ではローマ皇帝アウグストゥスが一番偉い人間として君臨する世界に、その世界を救う救い主として主イエスが生まれてきたというのはどういうことでしょうか。
主イエスは、軍事力、政治的権力、経済的富を一身に集めているローマ皇帝アウグストゥスの勅令によって運命を左右される無力な民衆の一人として生まれました。それは、神が、そうです、ほかならぬ、天地万物を創造された神が、その独り子を、無力な民衆であるわたしたち一人一人に与えてくださることによって、わたしたちを神の子どもたちとするためでした。
神は、御子を貧しい姿でこの世界に生まれさせ、それによって、貧しいわたしたちを富ませてくださいます。神は独り子を貧しいわたしたちに与えて、わたしたちを富む者、限りなく豊かな者たちとしてくださいます。これが、わたしたちが今日クリスマスに聞く驚くべき知らせ、世界を救う良い知らせです。

神が独り子をこの世界に生まれさせ、独り子を与えるほどにわたしたちを愛してくださったこと、わたしたちを神の子供たちとしてくださり、限りない愛を持って愛してくださったこと、これが、主イエスが救い主として、この世界にもたらされた救いです。この救いは、わたしたちのこの世界における生き方を根本的に変えます。わたしの生き方が変えられること、わたしたちを新しい、違った生き方をするものとしていただいたこと、そのことが救いであるとも言えます。

主イエスが貧しいものを富ませてくださるお方として、ご自身のすべてを、その命までを惜しみなく与え、差し出してくださったのは、誰に対してでしょうか。わたしたちは、自分自身がその一人であることを信じ、感謝をもって、主イエスの恵みと愛を受け入れようとしています。でも、それがわたしだけでないこと、わたしの隣人に対しても等しく差し出されていることを知っています。

主イエスが全世界を救う救い主であられるということは、神さまが主イエスを与えて愛されるのはすべての人であり、それゆえ、神さまが愛されるすべての人を、わたしも愛するようになるということです。主イエスの愛されるすべての人が、わたしの愛する隣人なのです。

このようにすべての人の生き方を根本から変えて、世界に愛と喜びと平安をもたらすお方をわたしたちは、誰よりも敬い、崇め、愛します。このお方こそ王にふさわしいと思います。
そして、皇帝アウグストゥスにとっても、このお方こそが仕えるべき王だと信じます。ですから、このクリスマスの日に、わたしたちは、今日この世界に生まれておいでになった主イエスこそ、アウグストゥスよりも、だれよりも偉大なお方であられると、心の底から信じ、告白し、主を賛美せずにおれないのです。

父と子と聖霊の御名によって。