聖日礼拝 「キリストの平和」 説教 澤 正幸牧師
旧約聖書 詩篇32編1~5節
新約聖書 コロサイの信徒への手紙3章15~17節

 

今なお、執り成し祈られる主イエス
賛美歌21には入っていいない讃美歌で、祈りについて歌った元の讃美歌集の307番の4節と5節は、このような歌詞です。

祈りのため、野に明かしし 我が主の昔も かくやありけん
我らのため あまつ園に  今なおとりなす 主をぞ仰がん

かつて、朝早く、まだ暗い中、寂しいところに出て行って一人祈っておられた主イエス、
その主が今もなお、私たちのため、執り成して祈っておられる、
その天のゲッセマネの園で、今なおわたしたちのために執り成しつつ祈っておいでになる主イエスを仰いで祈ろう、と歌います。

主イエスは、今、私たちのために、どのような執り成しの祈りを捧げておいでになるのでしょうか。主イエスは十字架の上で最後に、ご自分を十字架につけた人々のためにこう祈られました。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)

主イエスは、十字架で祈られたのと同じ祈りを、今なお、天においてこの世界のすべての人々のために祈っておいでになるに違いありません。

主イエスが私たちに教えてくださった主の祈りの中で、主イエスは、「私たちの罪をお赦しください、私たちも人をゆるします」、と祈りなさいと言われました。
神さまに私たちの罪をゆるしてくださいと、私たちが祈る、その私たちの祈りに先立って、まず主イエスご自身、父なる神にわたしたちの罪を許してくださいと祈っておられるのです。その祈りがまずあって、その祈りを祈られる主イエスの傍に立って、私たちもまた、心から、神さまに自分の罪の許しを願って、自分の口を開いて祈るのです。

平和の祈りの原点
今年の8月、私たちは平和のことをこれまでになく真剣な思いを持って考えながら過ごしてきたのではないでしょうか。平和いまだならずというか、なんとか平和を、なんとか二度とかつてのような戦争の悲劇を繰り返さないようにしたいという思いと願いを多くの人々が強くさせられる日々だったように思います。

平和の原点、平和を祈る祈りの原点はどこにあるのでしょうか。
今日は、最近出版された一冊の本を皆さんに紹介しながら、そのことについてお話ししたいと思います。その本というのは、「BC級戦犯にされたキリスト者」という本です。副題に「中田善秋と宣撫工作」とあります。著者は私たちと同じ日本キリスト教会に属する東京告白教会の小塩海平長老です。

戦犯にされたキリスト者
BC級戦犯にされたキリスト者というのは、副題に挙げられている中田善秋という人です。この人は1941年12月、太平洋戦争が始まる直前、日本神学校在学中の神学生でしたが、軍属として徴用され、宗教宣撫工作のためにフィリピンに派遣されました。当時26歳、一緒にフィリピンに派遣されたプロテスタントの宣撫工作員の中では最年少でした。

「宣撫工作」という聞きなれない言葉の意味は、「軍隊が占領地において軍政を施行する際、被占領地住民が敵対せずに協力するように住民を懐柔する行為」をするという意味です。
要するに日本軍がフィリピンを占領し、そこを統治するために、フィリピンの住民に対して、ゆめ日本軍に敵対し、日本軍を攻撃することのないようにと、日本軍の手先となってフィリピンの住民に日本軍への協力を呼びかけたり、働きかけたりするのが宣撫工作員の任務なのです。
要するに、宣撫工作とは、自分たちの側につけ、そうすれば守ってあげる、悪くはしないと言って人々を手なずけることであり、裏返せば、自分たちのいうことを聞かなければ痛い目にあっても知らないぞと脅すことです。「虎の威を借りた狐」という言葉がありますが、軍隊という虎の側で、優しげなことばを語る狐のような存在、それが宣撫工作員の正体だと言えます。

そのような宣撫工作員には、新聞、マスコミに従事するジャーナリストや作家もいれば、宗教宣撫工作というのは、そのキリスト教版でした。フィリピンは長くカトリックの国でしたから、日本から派遣された宣撫工作員の半数はカトリックでしたが、プロテスタントからも12名が選ばれました。この人たちにはフィリピンの教会関係者に日本軍への協力を働きかけることが任務として与えられたのです。1942年の一年間活動して、宗教宣撫班はほぼ全員が帰国しました。しかし、中田善秋は皆が帰っても一人残留を願い出て、1945年の敗戦までフィリッピンに留まったために、戦争末期の悲惨な戦闘に巻き込まれることになりました。その混乱状態のなかで彼は戦犯、戦争犯罪を犯した犯罪者として逮捕されてしまったのです。

日本から派遣された宗教宣撫工作員の中で、フィリピンに滞在した時期が他の人たちよりも長かったという違いはあっても、ほぼ同じ目的の活動をした26名中、たった一人中田善秋だけが戦争犯罪者として罪を問われる結果になったのです。

彼が逮捕されるに至った具体的な経緯は次のようなものでした。他の宗教宣撫工作員が帰国した1943年の初めからフィリピンの戦況は一変し、フィリピンから一時撤退していたアメリカ軍は再び反撃を開始し始め、ついにアメリカ軍はフィリッピンに再上陸します。1944年に至って、戦争は泥沼化し、日本軍は追い詰められてゆきました。日本軍は前から攻めてくるアメリカ軍と戦うのに、フィリッピンの住民ゲリラが背後からアメリカ軍に呼応して日本軍を攻撃することを恐れ、フリピンの住民を虐殺し始めたのです。何千人という単位で、幾つもの村の住民が全員皆殺しにされて行きました。中田善秋は、そのような軍隊の非人道的計画を知るに至ると、それに真っ向から反対します。しかし、彼の意見は最終的に通らず、彼のいたサンパブロという地域でも虐殺のために1000人ほどの住民が教会に集められたのでした。そのとき、彼は、その中から日本に協力的だった人たちの命を助けました。しかし、彼が救い出すことのできた人数は僅かでした。あとは無残にも日本軍の手によってフィリピン人や中国系華僑の人々がゲリラとして虐殺されました。

そのような修羅場で一人の女性が中田善秋のもとに助けを求めて飛び込んできました。中田は彼女の求めに応じて、彼女の家族を助け出します。その場面をお読みします。


「中田善秋は、実際、虐殺されるべく教会堂に集められたフィリピン人の中から10名ほどを救出し、もと華僑協会会長をつとめたリム・ティグワンをも助け出した。その後、事務所に戻ったところへ、キリスト教女子青年団のルース・アルベロが友人とともに現れ、自分の義兄と友人の弟が教会に拘束されているので助けて欲しいと泣きながら訴えたので、中田は再び教会に戻り、二人を探し出して、救出した。」
(56ページ)

このときのサンパブロにおける虐殺事件が戦後、戦争犯罪として取り上げられ、虐殺を命令した司令官たちは死刑になりましたが、中田善秋もまた逮捕されて裁判にかけられたのです。彼を弁護した弁護士や、彼を裁いた判事はアメリカ人でしたが、いずれも中田善秋の無実を信じ、彼に対して同情的でした。
しかし、裁判において彼の無罪を立証するために証言してくれるはずの華僑協会会長をつとめたリム・ティグワンはじめ、中田善秋によって虐殺を免れさせてもらったフィリピン人たちが全員証言を拒否したのでした。何よりショックだったのは、中田が最後にその家族を救ってあげた、フリピン人女性ルース・アルベロが、こう証言したことでした。

「カトリックの女子青年団グループのルース・アルベロは、検察官の質問に答えて、2月24日の午後、中田を事務所に訪ね、義兄と友人の弟を救出してくれと頼んだこと、中田はちゃんと助けてくれたことを証言した。ただし、ルースは、検察官に「では被告中田は死刑に値すると思いますか」と訊かれると、「はい」はっきりとそう答えた。「なぜ死刑にすべきだとお考えですか」「なぜなら彼は日本人ですから」(72ページ)

中田は個人的には犯罪に手を下したわけではなかったので、あくまでも彼の良心は潔白でした。自分にはやましいことはない、自分は無罪だという確信がありました。
しかし、日本人だから、彼は死ぬべきだと言われた、そのフィリピン人女性の言葉は中田の心を深く刺し貫いたのです。

中田善秋に下された判決は重労働30年の有罪判決でした。のちに彼は、フリピンから日本に移送され、巣鴨プリズンで服役します。そのうちに日本がサンフランシスコ条約によって国際社会に復帰すると、これらの戦犯の恩赦を求めて、減刑嘆願運動が始まります。

その時、中田はその減刑嘆願を断った数少ない戦犯の一人となりました。なぜ、どのような思いから、彼は減刑されることを願わなかったのでしょうか。

中田善秋の次の言葉がその思いを言い表しているように思います。少し長い引用になりますがお聞きください。

「私達戦犯者にとって更に重大だった事は、私たちが参加していた戦争が如何に残酷なものであったかを終戦後7年の今日更に切実に感ぜしめられた事、そして、あの頃、誠にいたいけな少女達だった者までもかくも惨めに傷つけてゆく戦争そのものは、将来いかなる意味においても、防がねばならない、それが私たち戦犯者の今後の使命であると深刻に考えしめた事でした。」

ここに戦後日本の平和主義の原点があると言えないでしょうか。
戦争の悲惨さ、残酷さを認め、それを防ぎ得なかった、そのことに対して自分にも罪があった。それを率直に認め、刑罰にも甘んじて服する。それを免れようとは思わない、ましてや自分の罪や責任を否定したりはしない。それは再び戦争につながる間違った道である。

平和の原点は、わたしたちの罪を背負って死んでくださった主イエスの十字架の死にあります。平和を求めて祈る祈りの原点は、十字架の罪の贖いをもって、わたしたちの罪の赦しを祈られる主イエスの祈りにあります。
その主イエスの祈りのもとで、中田さんが自分の罪を認め、日本が犯した、罪と過ちを神さまの前で告白したように、私たちも自分に罪がないと言わず、自分たちの罪を公に言い表して神様に赦しを求める、そこに平和の祈りの原点があります。

今日、この平和の原点が見失われようとしていないでしょうか。自分たちは正しい、間違っていない。相手にも悪いところがあるではないか、なんで自分たちばかりがいつまでも、いつまでも謝り続けなければならないのかと言い張る。自分の罪を認めることを忘れ、相手だって悪いと言い募る。また相手がいつ自分たちを襲ってくるかもしれないという、疑心暗鬼、相手など信じられないという不信と敵意が、今、多くの人々の心を占めようとしていないでしょうか。これはかつて来た道への逆戻りです。戦犯の一人として中田善秋は、その道へ戻ってゆけば、かつてと同じ悲劇と悲惨の繰り返しを招くだけだと訴えているのではないでしょうか。

神さまの前で、かつての罪、また、今なお、罪に走ろうとする弱さ、愚かさを告白しましょう。天において、私たちの弱さと罪を知って、今なお、神さまに執り成し、祈っておいでになる主イエス・キリストの祈りに合わせて、主イエスが教えてくださった祈りを、すべての人とともに祈りたいと思います。

私たちの罪をお許しください。私たちも人をゆるします。

父と子と聖霊の御名によって