聖日礼拝 「主に見つめられた者」
説 教 内田 聡 長老
新約聖書 ルカによる福⾳書 22章 54~62節
新約聖書 使徒言行録 2章 22~24節
2025.10.12 礼拝説教 「主に見つめられた者」
本日取り上げるルカによる福音書の記事は、私にとって思い出のあるものです。洗礼を受けたばかりの20代の頃、この記事による想いを『福音時報』に書いたことがあるからです。何よりも原稿料として4,000円を頂いたことが嬉しかったです。当時の私は作家になりたいと思っていたので、自分の書いた文章に値が付いたことに感激しました。その後も自分の文章に値を付けてくれるのは、『福音時報』だけです。
その時に書いた原稿は残っていませんが、内容は覚えています。61節の「主は振り向いてペトロを見つめられた。」 という聖句に注目したものでした。大学受験で失敗し挫折感に囚われていた自分を、イエス様は見捨てずに見つめてくださるという気付きが動機でした。実際は、動機となった自分の事情は曖昧にしたままイエス様の憐み深い眼差しを強調し、その希望が洗礼に至らせたという内容だったと思います。若い人の声を載せたいという編集者の主旨に沿ったものでした。
あれから40年を超える月日が流れ、再び、この記事と向き合うこととなりました。あの時はペテロを見つめるイエス様に焦点を当てましたが、今回はイエス様が見つめられたペテロに焦点を当てたいと思います。 長い信仰生活を通した気付きが、ペテロの側に
多くあるからです。説教題も「主に見つめられた者」 とさせていただきました。皆さんも、ご自身と重ね合わせてお聞きくだされは幸です。
「ペテロの否認」という記事は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、四つの福音書に書かれています。それぞれの福音書は微妙に異なる点がありますが、その情報を手掛かりに、この記事の全体像を掴んでみたいと思います。
ユダの裏切りで捕えられたイエス様は、まず大祭司の家に連れて行かれます。この家は大祭司アンナスのもので、イエス様は裁判の予審として様々に尋問されます。この時、ペテロは中庭にいて家の中の様子は分かりません。周りの人々から問われ、イエス様を否認します。ペテロが最後に否認した時、鶏が鳴き、予審が終わって最高法院へ連れ出されるイエス様が、振り向いてペテロを見つめられるのです。
ルカは最高法院の裁判を夜が明けてからとしますが、マタイとマルコには予審の記述が無く、裁判は夜中に行われます。ヨハネは最高法院の裁判の様子を書いていません。この大祭司はカイアファで、予審をしたアンナスの娘婿にあたる人物です。
ルカ以外の福音書はイエス様の裁きに関心があるようです。マタイとマルコは「ペテロの否認」をサイドストーリーのように後付けします。ヨハネのタイミングはルカと同じですが、アンナスの予審が挿入されています。ルカだけか「ペテロの否認」を独立した記事として際立たせているのです。
56節、 「するとある女中が、ペテロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った」
この聖書では「たき火に照らされて座っている」と訳されていますが、原文の直訳では「光の傍らに座っている」とすることも可能です。光という意味のギリシャ語は光を発するものとして“火”をも意味するので聖書の翻訳は正しいのですが、火そのものを表す別の言葉もあります。その言葉をどうして使わないのか。そもそもマタイによる福音書には火の記述はありませんし、マルコやヨハネは「暖まる」という言葉で火を連想させるだけです。それは寒さをしのぐための手段に過ぎず、物を照らす光という意味を感じることは出来ません。
ルカは光という言葉を敢えて使ったのではないかと思います。 先週の説教では「主イエスの光は私たちの偽りも 私たちの隠れた罪も明るみに出し、それを指摘し、私たちを真理へと導き、罪の悔い改めと赦しを与えてくださいます。」というメッセージを聞きました。この情景が正しくそうではないでしょうか。今、ペテロは光の傍らに座っています。
そこに三人の告発者が現れます。これらの告発は矢継ぎ早ではなく、十分な間隔がありました。大祭司の家でイエス様が尋問されていた時間と同じくらいの長さです。
最初の者は「「この人も一緒にいました」」と告発します。「ペテロはそれを打ち消して、
「わたしはあの人を知らない」と」言います。このペテロの答えは過剰です。一緒にいたかどうかを聞いているだけなのに、イエス様との関係まで先取りして否定するからです。イエス様は尋問の最中であり、十字架刑が確定しているわけでもありません。ペテロが遠く離れてイエスに従ったのは、「事の成り行きを見よう」としたからでした。未だ何事も起こってないのに、ペテロは震えているのです。
次の者は「「おまえもあの連中の仲間だ」」と告発します。直訳すると「おまえも彼らに属する」です。「あの連中」と訳されている彼らとは、イエス様の弟子たちに他なりません。その後に教会と呼ばれる群れです。「ペテロは、「いや、そうではない」と」言います。主を否認したペテロは教会をも否定するのです。
最後の者は「「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」」と、理由を付けて告発します。この「一緒 」という言葉は最初の告発者の「一緒」とは別のもので、「共に」とか「中に」というニュアンスを含みます。理由を含め大胆に意訳するなら、「確かにこの人も、ガリラヤという故郷を共にしていた。」 或いは、「ガリラヤという故郷の中にいた。」となるかもしれません。ルカによる福音書2章39節には、「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。」と書かれています。これは幼子のイエス様がエルサレム神殿で捧げられた記事なのですが、ペテロとイエス様が同じ故郷のガリラヤで共にいたということは確かでしょう。しかし、わたしたちはイエス様にはもう一つの故郷があることを知っています。神の国です。イエス様は神の国の到来を語り、十字架と復活によってそれを約束されました。イエス・キリストを信じる者は神の国の民として故郷を共にする者です。「だが、ペテロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。」 曖昧な答えをしてその場をやり過ごそうという意図はよく分かりますが、故郷のガリラヤを比喩とするなら、ペテロは神の国の希望をも失ったことになります。
いかかでしょう。主を否認し、教会を否定し、神の国に失望する。ペテロに残されているのは罪の現実だけです。その現実は、私たちが生きる世も変わりません。この教会の外に出たなら、「今だけ、金だけ、自分だけ」。「コスパかいい」とか「タイパいい」とか。効率が最優先で本質を問わない。罪の意識を無くす都合のいい理屈がもてはやされています。時々に様々な偶像が現れて脚光浴び、やがて消えて行く。救いはありません。
しかし、よくよく聖書を読んでください。この時、ペテロが否認せねばならないほどの出来事は、まだ起こっていないのです。イエス様が反ローマ帝国のゲリラ組織・熱心党のリーダーとして捕えられていたなら、ペテロも一緒に連行されていたはずです。その疑いは皇帝への税金を巡るイエス様の問答で回避されていました。また最後の晩餐でイエス様が「『その人は犯罪人の一人に数えられた』」と予告した十字架の刑罰は、夜が明けてから昼の出来事です。その日の夕方、「弟子達はユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」とヨハネによる福音書は伝えます。しかし、ペテロが否認した夜にはユダヤ人を恐れる理由はありません。ですから、ペテロの否認は彼の内にある罪が引き起こしたと言えます。或いは世の罪の現実に共鳴したのかもしれません。「ペテロの否認」 これは世にある信仰者が遭遇する試みの出来事なのです。
先週の祈祷会で「決断する教会の教会論」という文章を読みました。福岡城南教会があるべき教会の姿を求めて渡辺通教会から分かれる決断をした意義を述べたものです。
その中に福岡城南教会設立趣意書が引用されていて、当時のキリスト教界を批判する文章がありました。その原因として「年と共に進む教勢の発展、華やかなる伝道の陣営の裏に 徒に会員数の増加と経済力の充実を図るに急なり 」と指摘しています。現代のキリスト教界とは正反対の状況ですね。今は、これを望んでいるのではありせんか?
福岡城南教会が建設されたのは戦前の1931年です。同じ年に満州事変が勃発しました。中国や東南アジアを侵略した十五年戦争の始まりの年です。その前夜、大日本帝国のキリスト教会は教勢も伸び、伝道も盛んで、財務も安定していたのです。1899年にキリスト教が公認されてから30余年。いよいよ日本にキリスト教が根付いてきたと喜んでいたでしょう。一体、福岡城南教会の先達は、教会の何を批判したのでしょう。
「時代の要求に応えんことをあせって 妥協に走った。」「人の能力と勢力のみが支配せんとする傾向にある。」「社交団体ではないか。」「人の語が重んぜられる。」「習慣と制度のみが顧みられるにすぎない。」 福岡城南教会設立趣意書に見られる言葉です。そうです、当時のキリスト教界は試みの中にあったのです。教会の外にある大日本帝国の現実に共鳴していたのです。あの夜、中庭の火明かりに照らされたペテロのように。
藤田治芽牧師は試みを見抜き、主に従い、教会を建て、神の国を待ち望みました。福岡城南教会の先達は牧師の決断を支持し、あるべき教会の姿を求めました。それは今も続く福岡城南教会の信仰的伝統だと思います。
私は、ペテロに問い掛ける者を告発者と称しました。告発者とはサタンの別名です。最後の晩餐で、イエス様はペテロに警告されました。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。」 告発者が信仰者をふるいにかけることは神に認められています。試みは神の裁きでもあるのです。
61節、「主は振り向いてペトロを見つめられた。」 この「見つめる。」というギリシャ語には、相手の心の中を見るというニュアンスがあるようです。信仰が浅かった若い頃は、イエス様の眼差しにペテロへの憐みを見出しました。しかし長い信仰生活を経ることでイエス様の眼差しはペテロの信仰を問う試み、神の裁きであったと分かります。鶏が鳴いて、ペテロの罪は確定しました。中庭の外に出て、激しく泣くばかりです。
しかし、ペテロはイエス様に見つめられた者です。鶏が鳴いた時、群衆からペテロを探し出し、イエス様が振り向いて見つめられた者です。その眼差しは裁きであると共に救いでした。ペテロが試みにあることを自覚させるからです。これ以上、世の罪の現実に共鳴することはありません。悔い改めを促し、ペテロは最後の晩餐で聞いたもう一つの御言葉をも思い出すでしょう。「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
信仰の試みは、生きるか死ぬかを問われる殉教だけではありません。世にある中で不断に問われているのです。「今だけ、金だけ、自分だけ」。罪の意識を無くす都合の良い理屈で、信仰の試みそのものが見えなくなってしまいます。自己中心的で刹那的な世の罪の現実に、心の中にあった罪が共鳴してしまうのです。かつて、大日本帝国のキリスト教界がそうでした。信仰の試みに気付かず確信に満ちて破滅へ向かったのです。同じことは、形を変えて現在でも起こり得るでしょう。日本人ファーストを掲げる愛国主義はもちろん、平和運動や環境保護であっても試みは避けられません。わたしたちは主に見つめられた者として、イエス様の眼差しを覚えておきたいと思います。
福岡城南教会が無牧師となって半年が過ぎました。小会の委託を受けて長老も説教をしていますが、私が講壇に立つ時、心掛けている言葉があります。福岡城南教会の二代目牧師で、私が洗礼を受けた四竃更牧師の言葉です。「内田君、聖書には権威がある。だから聖書を利用する者に注意しなさい。」 聖書を正しく解明かす牧師の必要が、ここにあります。
また、東京勤務時代に所属した西経堂伝道所の長谷川保男牧師の言葉も忘れられません。「内田さん、ここは伝道所だから、教会を治める務めについて教えられません。」それは福岡城南教会の小会メンバーとして澤正幸牧師から学びました。独立教会を正しく指導する牧師の必要が、ここにあります。
幸いなことに福岡城南教会の無牧師状態は解消する見込みとなりました。来年の春には澤正幸牧師の後を継ぐ四代目の牧師が就職するでしょう。この方はイエス様ではありません。わたしたちと同じ主に見つめられた者です。主に見つめられ、悔い改めて立ち直ったペテロに連なる者です。独立教会の信徒は、この牧師と共にあるべき教会の姿を求めて歩んで行くのです。
最後に、聖書朗読された使徒言行録の御言葉で説教を閉じます。あの夜、ペテロが試みに遇った時に語るべきだった告白を、聖霊が語らせ下さいます。お聞きください。「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。」 父と子と聖霊の御名によって。
お祈りします。
父なる神様、この世にあって、不断に問われる信仰を、主に見つめられた者として、守らせてください。天皇に従った大日本帝国にあって、主に従う決断をした福岡城南教会の信仰を新しく迎えようとする牧師と共に、歩ませてください。亡者が群がる世の罪の現実にあって主の栄光を顕す教会とならせてください。この祈りを、わたしたちの救い主、イエス・キリストの御名によって受け入れたまえ。アーメン
