待降節第一聖日礼拝 ルカによる福音書連続講解説教 第43回「主とその弟子」
説教  澤 正幸 牧師
旧約聖書 イザヤ書50章4~9節
新約聖書 ルカによる福音書 9章49〜56節

 

ルカによる福音書連続講解説教 第43回「主とその弟子」

今朝はルカによる福音書9章49〜56節によって、ともにみ言葉に聞いてゆきましょう。

聖書を読むとき、今日読む箇所でもそうですが、そこだけを読むのではなく、その前後を読むことによって、初めてその箇所が正しくまた良く理解することができるようになります。

今日の箇所でも、49節に「そこで、ヨハネが言った」とありますが、「そこで」というのは、ここに記されているヨハネの発言が、すぐ前に書かれている主イエスのお言葉、すなわち、主イエスが48節で「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である」と言われたので、「そこで」、ヨハネはその主イエスのお言葉を受けて、こう言ったということです。原文では「ヨハネは答えて言った」と書かれています。

また今日読んでいる49〜56節には、主イエスの弟子ヨハネは2度登場します。それは偶然ではなくて、49節以下に書かれていることと、51節以下に書かれていることとが、内容的に関連していることを示唆しているように思います。

そのような前後の脈絡に注意しながら、まず49節のヨハネの言葉が、その前に書かれている主イエスの言葉に対するどのような反応、応答だったかを考えてみたいと思います。

49節と48節に共通しているのは、主イエスのお名前です。49節は、主イエスのお名前を使って悪霊を追い出している人をヨハネがみて、それをやめさせたと言います。その理由は、その人が「わたしたちと一緒にあなたに従わない」からだと言うのです。それに対して、主イエスはヨハネに、やめさせてはいけないと言われました。

ヨハネが主イエスの名を使うことをやめさせた理由について、ルカは「わたしたちと一緒にあなたに従わない」と書いていますが、マルコの並行箇所は、もっとはっきりと「わたしたちに従わない」(マルコ9:38)と書いています。ヨハネの主張は、極端な言い方をすれば、「主イエスの名を使って悪霊を追い出して良いのはわたしたちだけである」、ヨハネたちは自分たちには主イエスの名をいわば独占的に使用することを許されているが、自分たちの集団に属さない者が、勝手に主イエスの名前を使うことは禁止されているという主張です。

主イエスの名は弟子たちには独占的に使用が許されていて、弟子たち以外が主イエスの名を使うことは禁止されるというヨハネの考えは、そもそも主イエスの名とはいかなるものかについて、46節以下に書かれていたことに反していたと思います。

なぜなら、弟子たちには、弟子でないものたちには与えられていない特権が与えられているのであり、弟子たちと弟子たち以外の人々との間には歴然とした序列があって、弟子たちが上で、弟子たちのグループに属さないものたちは、自分たちよりもランクが下だという考えになるからです。弟子たちは自分たちの間で誰が一番偉いかということで言い争っていましたが、弟子達内部での序列争いは問題ですが、弟子たちが外部の人たちに対して自分たちを優位に立たせ、外部の人を下に見ているとすれば、それはもっと問題です。

主イエスは、小さな子供をご自分の側に立たせて、最も小さい者が、最も偉いと言われたのでした。偉いというのは原文では大きいという言葉です。神様の目に大きく、大切な存在として映っているのは、だれなのか、それは人々の目に小さく映っている子供達なのだということです。弟子の集団に入ってないものたちは、神様の目に弟子たちよりも小さく、つまらない存在として映っているということがあるでしょうか。そう思うとしたら、主イエスの言われることがヨハネにはまだわかっていなかったということではないでしょうか。

さて、51節以下の記事でヨハネが再登場するのは、兄弟のヤコブとともに54節で主イエスにこう提案するところです。「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」。こう提案したのは「それを見て」とありますが、弟子たちがサマリア人の村人が、主イエスを歓迎しなかったのを見たからでした。

少し当時の事情を説明した方が良いかと思います。サマリアの村人が主イエスを歓迎しなかった理由は、「主イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである」とあります。それは、主イエスと弟子たちがこのとき、過越の祭りをエルサレムで守るために巡礼の旅をしていたから歓迎されなかったという意味です。当時のサマリア人はエルサレム神殿ではなく、ゲリジム山にある神殿で、ユダヤ人がエルサレム神殿で過越の祭を祝うように、彼らの過越の祭りを毎年守っていたのです。ですから、サマリア人が過越の祭のためにエルサレムに向かう巡礼を歓迎するいわれはなかったのでした。

ヤコブとヨハネがそういうサマリア人に対して、天から火を降らせて、焼き滅ぼしましょうかと言ったということは、いわゆる宗教戦争と全く同じ考え方、自分たちとは違う信仰、違う宗教の者を、自分たちの神の名において呪い、滅ぼそうという考えにつながります。中世ヨーロッパにおいてはキリスト教がユダヤ教を迫害し、キリスト教の十字軍がイスラム教徒と戦争をしました。今日でもイスラエルがパレスチナとガザに対する爆撃を彼らの信じる神の名によってするとすれば、それはここでヤコブとヨハネが主張した主張と同じでしょう。

しかし、主イエスはヨハネたちの提案を斥けられました。それは、主イエスがきっぱりと宗教戦争のような主張、考えかたを否定しておいでになることを意味します。「戒められた」というのは、原語では、厳しく咎められたとか、叱責されたと訳しても良い言葉です。

ここでも主イエスの名が問題になります。主イエスの名において敵を呪い、滅ぼすということがあり得るでしょうか。主イエスの名は主イエスご自身の人格、生ける主イエスご自身から切り離すことはできません。主イエスが敵を呪い、滅ぼすようなお方ではないことを、主イエスの生涯、主イエスの生と死が、はっきりとそれを告げていないでしょうか。今日の聖書の箇所もそれを私たちに告げていると思います。51節以下を読みましょう。

このとき「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」とあります。このときのエルサレムに向けての旅は、主イエスの生涯における最後のエルサレムへの巡礼の旅でした。主イエスはエルサレムでその歩みを終えられます。死なれるのです。「エルサレムに向かう決意を固めた」と訳されているところを、別の聖書は「彼は自らその面をエルサレムに向けて決然と進もうとした」と訳しています。

主イエスが顔を向けられたエルサレムとはどんなところかと言えば、21世紀の今でも、神殿のあるエルサレムを巡って争いが絶えないのは、エルサレムを手中に収める者が偉大さを手にすると考えられているからだと思います。そこは大王の都、神殿のある神の都なのです。しかし、主イエスはそのような「偉大さ」の象徴であるエルサレムに対して「顔を向けられ」たというのは、それとの対決の意志をあらわにされたという意味です。

神さまの目は、小さい者、弱い者、取るに足らない者として、軽んじられ、踏みにじられている子供達、病人たち、言われなき差別のもとに苦しんでいる人たちに向けられます。
しかし、主イエスが顔を向けて目指されるエルサレムは、「人の子イエスを、排斥し、殺そうとする長老、祭司長、律法学者たち」が待ち構えている都でした。自らを大きくし、その権威と権力を誇る都だったのです。神の目に最も大きく、尊く映っている小さな者たちを平然と、冷酷に自分たちの神の名において滅ぼすエルサレムに対して、主イエスは小さいものとなって、十字架の死に向かって進んでゆかれるのです。神が小さい者を愛し、喜び、救われる神であることを、「顔を硬い石のようにして」(イザヤ50:7)どんな反対を受けようとも怯まず、退かず、最後の最後まで十字架の道を歩み通すことによって明らかに示し、ついに天への道を全ての小さい人のために開くために主イエスは進んでゆかれます。

神さまはユダヤ人の目から異邦人として、異教徒として、低く、汚れた、つまらない人々、罪深い人々として蔑まれていたサマリア人も、ギリシャ人も、アジアに生きるわたしたちも、世界中に生きる、神によって造られたすべての人を愛し、よろこび、ご自身の子としてくださるために、御子を小さな者の一人として遣わしてくださいました。

そのことを覚える待降節にあたって、わたしたちも小さくなられた主イエスに倣い、自分自身を小さくして、小さくされている人たちと共に、主イエスの御名を喜びましょう。主イエスの御名を、主イエスを知らない人たちと共に喜ぶものとされたいと思います。

父と子と聖霊の御名によって。