聖日礼拝 「打ち消し、呪うペトロにも」
説 教 伊藤健一長老
旧約聖書 申命記 5章 6〜7節
新約聖書 マルコによる福音書14章 66~72節
主イエスが延々とファリサイ派の人々と律法学者を非難するくだりが、マタイによる福音書の23章にあります。その中で主イエスがこう言われます。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う」(マタイ23:29-30)。この主イエスの糾弾のことばはさらに続き、「はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる」(23:36)ということばで結ばれています。ファリサイ派の人々や律法学者が「もし先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流す側には付かなかったであろう」と言っていますが、彼らはここで本心からそう言っているのかも知れません。本当にそう思って言ったのでしょう。ただし、本心からそう思って口にしたことではあっても、もし彼らが先祖の時代に本当に生きていたなら、本当に預言者の血を流す側には付かなかったのでしょうか。私たちは、こうした問題を考えるとき、まったく異なった文脈で考えて、気軽に自分たちはそんなことはしませんと言ってしまうものです。こうしたことまで見抜いた上で、主イエスは、「こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している」(23:31)と言われました。彼らは、先祖たちの時代に生きていたとしても、きっと預言者を殺した者たちの側に付いていたはずだ。主イエスは彼らについて、そう判断しています。
このエピソードから話を始めたのには、理由があります。今日は8月9日です。1945年8月9日に長崎市に原子爆弾が投下されてから、81年目の日を迎えています。午前11時02分でした。私と同じくらいの世代の方、あるいは年上の方々は、小学生の頃、夏休み中に登校日があったことと思いますが、長崎県では、長崎原爆のこの日が登校日とされ、この日に平和学習が行なわれました。長崎駅の一つ手前の駅は浦上駅です。ここは爆心地で、今は平和公園が設けられ、島原市出身の彫刻家北村西望による平和祈念像が建てられています。この地にあった浦上天主堂は被爆し、現在は新たに建て直された天主堂が建っています。長崎に投下された原子爆弾は、もともと小倉に落とされるはずだったというお話は、よく知られていると思いますが、私にとっては、小倉も長年お世話になった大学がある町ですし、長崎は隣の町ですので、この原子爆弾投下はとても他人事とは思えません。当時も島原にいた両親によると、雲仙の山を隔てた島原でも、空に異様な光が見えたと言うことでした。
現代に生きる私たちは、過去のキリスト者たちの戦争責任を問題にします。今日の礼拝の中でも、初めに司式者が、「戦争罪責告白」を朗読しました。九州中会が2020年に文章化し、それ以来毎年この時期に礼拝において宣言してきたものです。私たちは一方で、自分たちが起こした戦争ではない、自分たちは戦争に関与していない、と思います。しかしこの文章を目にし、耳にするとき、私たちは、自分自身としてはこの戦争に一切関わっていないとしても、国民として戦争遂行に協力してきた責任を受け継いでいるということを思わざるを得ないのです。ファリサイ派の人々が言ったように、私たちは、「もし自分たちが戦時中に生きていたとしたら、戦争を遂行する側には付かなかったであろう」と断言できるでしょうか。私たちは、過去に戦争を遂行したこと、侵略行為をしたこと、さらには神社参拝を行ない、他国の人にも強要したこと、それらが過ちであったことを認識しています。しかし、もしその時代に生きていたならば、それが過ちであると断言して勇気ある行動ができていたか。潔く捕らえられて処刑されることを覚悟の上で、そうすることができたか。いやむしろ、死の恐怖の前に押し黙ってしまうことしかできなかったのではないかと思います。しかし、そんな弱い者たちにも主イエスの眼差しが寄せられていたのだということを改めて覚えたいのです。
先ほど、マルコによる福音書から朗読していただきました。主イエスが捕らえられ、大祭司の邸宅に連れてこられた場面ですが、弟子たちは散り散りに逃げ去ってしまった後でした。ペトロは主イエスの後を追って邸宅までついて来ています。しかし、ここで女中から「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」と言われると、ペトロは必死になって打ち消し、呪いの言葉さえ口にするのです。今日、この箇所から御言葉を聞きたいと願った理由は、この時のペトロの置かれていた状況が、戦時中のキリスト者たちが置かれていた状況と重なっていると思えるからです。
初めに、ここまでのペトロの歩みを振り返っておきましょう。主イエスが洗礼者ヨハネから受洗して、ガリラヤで宣教を始められたとき、最初に弟子とされたのが4人の漁師たちでした。「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った」(マルコ1:16-18)とあるように、ペトロは一番目に弟子にされた人でした。そしてペトロは、最初に「あなたは、メシアです」(マルコ8:29)との信仰告白をした人物でしたが、その直後、主イエスが「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」(マルコ8:31)と言われると、彼はそれを諫め、逆に主イエスから「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(マルコ8:33)と叱られてしまいます。弟子たちの筆頭者という自覚は持っていたと思われますが、必ずしも主イエスの御心を十分に理解できてはいなかったようです。それがはっきり示されるのが、主イエスの最後の食事の後の物語です。主イエスが「あなたがたは皆わたしにつまずく」(マルコ14:27)と予言されると、ペトロは「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(マルコ14:29)と言うのですが、主イエスはそれに対して「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」(マルコ14:30)と予言されました。そして、ユダの裏切りから主イエスは逮捕され、それと同時に、弟子たちは皆、散り散りに逃げ去ってしまいました。
ここからが今日の物語です。主イエスは大祭司の邸宅へ連行され、ここで予備審問が行なわれました。これは正式な裁判ではありません。過越祭の最中に、しかも深夜に行なわれた異例な裁判で、しかも訴因も証拠も何もありません。訴因を探すことから始める裁判という、まったく法律に適わないでたらめな裁判です。この裁判と、ピラトの下で行なわれる正式な裁判との間に、今回の物語が挿入されています。深夜の裁判が邸宅の中で行なわれているとき、ペトロは邸宅の中庭にいました。14章66-67節です。
(66)ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、(67)ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」
ペトロのもとに近づいてきたのは、大祭司の女中でした。女中と訳されていることばは、若い女、女奴隷といった意味があります。すなわち、大祭司の邸宅で使えている少女なのです。当時の社会においては、成人男性二人の証言がそろえば真実と認められていましたが、女性の立場は非常に低く、女性が何人証言をしても、それは正式な証言とは認められなかったのでした。まして、ここで証言しているのは、まだ成人前の女中1人です。証言力としてはないに等しい存在です。ところがこの非常に弱い、まったく意味を持たないはずの証言に、ペトロは激しく動揺しました。「一緒に」ということばは、くっついて一緒に、すなわち常に一緒に行動していたという意味です。このことばに気が動転したのか、ペトロはこう応答します。68節です。
(68)しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。
ペトロは、女中のことばに動揺しますが、それを否認して、知らない、理解できないと言います。「打ち消した」ということばは、過去形、すなわち1回だけの行為であることを示す時制になっています。そうして彼はその場を離れて出口の方向に移動します。ここで鶏が1回目に鳴きます。これで問題解決かと思われましたが、この女中はなおもペトロを追って来ます。彼女はペトロを離れてくれないのです。そして今度は周りの人を巻き込みます。69-70節です。
(69)女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした。(70)ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」
新共同訳は「この人は」と訳していますが、実際のニュアンスは「こいつは」といった軽蔑の意味合いが込められています。このことから、この女中がペトロに対して敵意を感じていることがわかります。「あの人たちの仲間です」と言われてペトロは再び否認しますが、今度は未完了過去という時制が用いられています。こうなると、「何度も何度も否認に否認を重ねていったが否認できなかった」という意味合いが表現されます。ペトロが我を忘れてただ必死に否定している、何を何のために否認しているのか分からなくなったままで、ただひたすら否認に努めている、という状況と言って良いでしょう。そうすると、今度はまわりの人たちが、ペトロの訛りという動かしがたい証拠を持ち出して彼を責め立てます。知っている、知らない、といった主観的なこととは異なる、客観的な証拠が持ち出されてしまったのです。追い詰められたペトロの対応を見てみましょう。71節です。
(71)すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。
ペトロは「呪いの言葉さえ口にしながら」と言っていますが、一体何を呪ったのでしょうか。本文にはその目的語がありません。主イエスを呪ったのでしょうか。それとも自分自身を呪ったのでしょうか。両方の可能性がありますが、ここではとにかく自分自身の身を守るための呪いという面が最も強いことは間違いありません。彼は徹底的に追い詰められているのです。彼は必死になって「そんな人は知らない」と誓い始めました。自分の先生を「そんな人」と呼ぶなんて、彼がこの段階でどれほど追い詰められていたか、そして何が何だかわからないままで、そこまで踏み込んででも自分の身を守ろうとしていたその必死さが読み取れます。その時のことでした。最後の72節です。
(72)するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。
その時、主イエスの予言通り、二度目の鶏の声を聞くこととなったのです。そこまでにたしかに三度、ペトロは主イエスを知らないと言っていました。「思い出した」と訳されていますが、これは、神によって思い起こされたという意味合いで読むことができます。すなわち、ペトロはここまでで、必死になって主イエスを知らないと言い続けていたのですが、その積み重ねによって主イエスと絶縁してしまうのではなく、神のわざによって、主イエスを思い起こさせられたのです。こうして、彼はイエスの言葉を思い出して、地面に突っ伏して、さめざめと泣きはらしたのでした。
ペトロの心の中には、主イエスのことが本当には分かっていなかったとしても、主イエスを信じ、慕う気持ちはあったと思います。しかし彼は、敵対する者たちに囲まれる中で、身を守るために必死で自己弁護し、その結果、「主イエスを知らない」と3度も言うことになります。これは、戦時中に、礼拝において宮城遙拝を行ない、君が代を斉唱し、聖書の神よりも天皇を上に置き、神社参拝を行ない、戦闘機を購入するために献金をせざるを得なかった戦時中のキリスト者の姿と重なるように思います。自分が信じている神さまを偶像以下のものとしなければならなかった。自分の身を守るためにはそうするしかなかった、そういう人たちの姿です。聖書の神は、私たちを創造し、私たちを救ってくださる神です。その神より偶像を大切にしなければならなかった。その葛藤は大きかったはずですが、同時にそれがずっと続くと、それが当たり前、それこそが真理になってしまうという危険がありました。戦時中の教会は、実際にそうなった教会だったのではないかと思います。
しかし、主イエスはそんなキリスト者たちと共にいてくださいました。打ち消し、呪うペトロとも共にいてくださいました。マルコ14:67でペトロが「火にあたっている」と記されていましたが、ここで「火」を表わしていることばは「フォース」ということばです。このことばは火を表わすこともありますが、基本的には光を指す言葉で、二義的に光を発するもの、すなわち火としても用いられることがある言葉です。普通に火を表わすときは、別のことばを用います。この「フォース」は、14章54節でも同じ意味で用いられていました。つまり、マルコはここで、主イエスが弱きペトロと共にいてくださっていた光だということを表現しようとしていたのです。その後ペトロはその場所から離れ、光なるイエスから離れていき、呪い、誓い始めるのですが、究極まで追い込まれた彼に、神さまは主イエスを思い起こさせてくださり、彼が立ち直るきっかけを供えてくださったのです
キリスト教の歴史に、迫害は付きものでした。まさしくマルコは、その迫害の最中に福音書を記したのでした。彼は、苦しい迫害の最中にも、主イエスは共にいてくださっているのだ、ということを読者に伝えようとしていたのです。私たちは弱い存在です。しかしその弱い存在に、主は寄り添ってくださいます。マタイ福音書10章23節には、こうあります。「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。」聖書は、逃げても良い、と言います。私たちは弱い存在です。しかしそんな弱い存在にも、主は寄り添ってくださることを信じて生きることができる、これが神の愛なのだと思います。希望を持ち続けましょう。
父と子と聖霊の御名によって。
主なる神さま、今日は平和に思いを寄せつつ、礼拝をまもることを許され、感謝いたします。この国では今、戦争は起きておりませんが、かつてこの国は他国を侵略し、戦争行為を展開しました。私たちはそうした歴史を受け継ぐものとして戦争責任を覚え、告白し、謝罪して参りました。積極的に戦争をしたわけではなくとも、間接的に戦争に協力してきた罪を告白します。心ならずも、偶像に心を移さざるをえなかった人々も少なくなかったことと思います。しかし主は、そうした弱き者に寄り添ってくださったことを覚えます。どうぞ私たちが、今度は本当に平和を造り出す者として仕えていくことが出来るよう、私たちを用いてください。
主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。
