聖日礼拝 「幼子から少年への成長」 説教 澤 正幸牧師
旧約聖書 詩篇 29章7~10節
新約聖書 ルカによる福音書2章39〜52節  

 

39、40節
ヨセフとマリアは幼子の主イエスを連れてナザレに帰ります。 40日ほどがたっていました。ナザレを出たとき、マリアは身重でしたが、帰るときは三人の家族になっていました。

ベツレヘムで生まれた幼子は、初めての宮もうでのためエルサレム神殿に連れてゆかれ、そこで老人シメオンに迎えられて、その腕に抱かれて祝福を受けましたが、ナザレに帰ってからは、日、一日と成長して行きました。体重も、やがて老人の腕では抱き上げられないほど、重くなってゆきました。背丈も伸び、身体が大きくなるのだけでなくて、知恵も増し加わってゆきました。

今日、わたしたちはルカによる福音書だけに記されている、12歳の時の主イエスのエピソードを読んでいますが、これは、乳飲み子がやがて乳離れするように、少年イエスが、両親から精神的に、人格的に親離れして行ったこと、とりわけ信仰的に自立して行ったことを伝えています。

41〜47節
ユダヤ人の成年男子は年に3回、エルサレム神殿に巡礼することを義務付けられていました。しかし、大抵の人々は、3回のうち、1回のみ、過越祭にエルサレムに巡礼していました。また遠い海外に住むユダヤ人であれば、毎年ではなく、何年かに1回にしていました。さらに、男子のみでなく、女性も一緒にゆくことがありましたし、そうすれば子供達も連れて行くことになりました。
主イエスはこのとき12歳でした。13歳になると成人扱いになります。このときのエルサレム行きは、来年からは自分一人で出かけなければならなくなる、両親に連れられて行く最後の過越の祭りでした。
ナザレからエルサレムまではおよそ三日の旅路だったようです。ナザレの村人たちは一つの巡礼団としてまとまって、エルサレムに向かい、そこに滞在し、祭りを終えると、また集団で帰途についたのでした。

ナザレに戻る一日分の道のりを行ったとき、主イエスのいないことに気づいた両親は、主イエスを探しながら、また一日分の道のりをエルサレムに引き返します。こうして、主イエスをエルサレム神殿で見つけたときは、三日がたっていました。主イエスを見つけるまでの二晩、マリアもヨセフも、眠れない夜を過ごしたことでしょう。

48〜50節
マリアが少年イエスのしたこと、なぜ両親に黙って、自分勝手にエルサレムにとどまり、両親はじめ多くの人に心配をかけるようなことをしたのかと言ってわが子を叱ったのは当然でした。
しかし、それに対して答えた少年イエスの言葉は、その意味が両親には理解できませんでした。

少年イエスのこの答えは、どういう意味なのでしょうか。
主イエスはご自分が父なる神の子である。神の子である者は、父の家、すなわちエルサレムの神殿にいるはずである。それは、誰にもわかることではないか。どこへ行ったのか、迷子になったのではないかと言って心配してさがすまでもない。神の子であるわたしがいるべき所、それは、ただ一箇所、エルサレム神殿以外にないのだから。
この言葉はそう言っているように読めなくもありません。
このとき問題になっていたのは、迷子になった少年イエスの居場所がどこかということではなく、この少年イエスは誰かということだった、両親が理解できなかったのは、まさにその点にあったと言うべきでしょう。

この一連の物語のキーワードは、「知恵」と「賢さ」だと言って良いと思います。エルサレム神殿で主イエスの質問や受け答えを聞いた人々は、少年イエスの「賢さ」に驚嘆していたと言われています。
聖書は、ここで少年イエスの知恵と賢さが、人々を驚かせるようなものであったと言っていますが、しかし、それは徐々に増し加わった知恵であって、最初から備わっていた賢さだったとは言っていません。主イエスも、何も知らない、何も理解できない幼子の状態から、少しずつ教えを受けて、無知な状態から、知識を身につけ、知恵を習得していったということです。少年イエスは神殿で教師に質問していますが、両親や大人から学んでいったのです。

では、少年イエスが際立って賢いと人々を驚かせた、その驚くべき賢さとは一体どんな賢さ、知恵だったのでしょうか。

先週の説教で、わたしたちは年老いた信仰者シメオンが幼子を腕に抱いて歌ったシメオンの賛歌を読みました。シメオンは主イエスを腕に抱いたとき、自分の腕に抱かれている幼子に自分自身を重ねて見ました。すなわち、腕に抱かれている幼子主イエスの姿を見て、それが父なる神の目に映っている自分の姿であることを信じたのでした。
幼子は、成長するに及んで、体重が増えて、誰かの腕に抱えられることは無理になります。そうして自分の足で立ちます。精神的にも知恵がつき、自立します。
しかし、体や精神は成長しても、また知識と知恵は増し加わわっても、幼子のとき、神の腕に抱かれて、聖霊において共にいてくださった神御自身の臨在は、年齢と共に増し加わるのでしょうか。いいえ、聖霊が共にいてくださることは幼子であるときから、死に至るまで、変わらないのです。詩編139編は神の霊の臨在を歌います。その詩人は「胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている。まだその一日も造られてないうちから」(16節)と告白します。そのように、わたしたちが父なる神の子であること、父なる神の腕の中にあり続けることは、昨日も今日も、永遠に変わらないのです。

主イエスの両親が心配したように、人の親はだれしも、こどものことを心配します。しかし、自分のこどもが、このとき少年イエスが答えたことを、しっかりと知り、信じ、答えることさえあれば、親にとって心配することは何もないのです。

わたしは父なる神の腕の中にしっかりと抱かれて、守られています。わたしの父は神さまです。わたしは父なる神さまの子です。わたしは父なる神さまの子として、このお方を知り、このお方をだれよりも愛し、このお方に従うために、生き、また死ぬ者です。
「神を畏れることは知恵の初め」(箴言1:7)である。「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ。」(伝道の書12:1、口語訳)
これが、聖書によって教えられている、知恵であり、賢さです。少年イエスも、それをしっかりと知る知識と、理解する知恵と賢さを習得して行ったのです。

たとえ、こどもが幼くて、自らの口でそれを言い表せなかったとしても、この恵みの事実は変わりません。あるいは、もう老境に達して、認識が朦朧としてしまったとしても、神がわたしたちの父であってくださることには変わりがありません。

51、52節
マリアとヨセフの両親が、その意味を理解しなかったという、少年イエスの言葉は、ルカによる福音書に記された主イエスの最初のお言葉でした。それは、原文を直訳すると「わたしは、わたしの父に関わることの中にいるはずである」、あるいは「いなければならない」となっていて、ここには「家」という言葉はありません。別訳としては「父に属する者たちの間にいる」とか「父の仕事に携わっている」と言った訳があります。
主イエスがここで自分は「父に関わることの中にいる」と言われた意味は、御自身が父なる神の子として、父なる神に聞き従って生きてゆくという意味だとすれば、それは具体的にはどのように生きてゆくことを指したのでしょうか。エルサレムの神殿で律法学者にまじって問答を交わした後、少年イエスはナザレに帰り、両親に仕えて暮らしたとあります。それは、まさに「父なる神に関わることの中にいる」ということでした。

主イエスにとって、「わたしは、わたしの父に関わることの中にいるはずである」と言われる生き方は、具体的には、両親に従って一年に一度、過越の祭りにエルサレムに行くことと、安息日ごとにナザレの会堂で礼拝を守ると言う宗教的生活を除けば、あとは普通の生活をすることでした。そこで、両親に仕えながら、神と人に愛されて生きることだったのです。

わたしたちもそうです。わたしたちも、自分が父なる神の子として、神の腕に抱かれて、生き、また死んでゆくということは、普通の生活をしながら、神と人に愛されて生きることなのです。わたしたちは、皆、それを、両親から、教師たちから、友人たちから教えられ、学びながら、成長する者たちなのです。両親を含めて、すべての人は、同じ神を父とする兄弟姉妹なのです。わたしたちは、そのことを共におしえあい、学び合う仲間同士です。

父と子と聖霊の御名によって。