待降節第一聖日礼拝 「すべての事を初めから」 説教 澤 正幸牧師
旧約聖書 申命記19章15節
新約聖書 ルカによる福音書 1章1~4節  

 

 

今日からルカによる福音書を読み始めます。福音書というのは、主イエスの語られた言葉、なさったみ業、主イエスの生涯の物語です。その中で、ルカ福音書には、他の福音書にはない。ルカ福音書だけにある序文がついています。
今日の説教は、この序文について、二つのことを取り上げてお話ししたいと思います。

第一は、このような序文を書物の冒頭につけるというのは、ルカが生きていたこの時代のギリシャやローマの文学的素養を身につけている人々の間では、通常、なされていたことでした。しかも、この序文の書き方は、上下二巻の書物につける序文になっていると文献学者は言います。ルカによる福音書を上巻とする、この書物の下巻とは、使徒言行録を指しているのです。著者ルカは、最初から二巻本を書くつもりで、今日読んでいる序文を書いているということです。
第二は、上巻であるルカによる福音書の序言で、著者のルカは、自分がなぜルカ福音書を書こうと思ったか、その動機と理由を述べようとしましたが、それは何だったのかということです。

説教では、まず、第二のこと、すなわちルカがなぜ福音書を書こうとしたのかについて取り上げ、その後で、第一のことについて触れたいと思います。

ルカは、福音書のことを「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えた通りに、書き連ねた」物語と呼んでいます。

主イエスのなさったことを直接、見た人たち、主イエスが語られた言葉をじかに聞いた人たちがいました。その人たちは、自分たちが見たこと、聞いたことを人々に伝えました。
それらの、主イエスの公生涯について、その死と復活につて、見たこと聞いたことを語ったペトロをはじめとする人々は、それを多くに人々に伝え、それらを伝え聞いた人たちの中から、それらを聞いた通りに、物語として書き連ねた人たちがいたのです。
ルカがこの福音書を書く前に、すでにいくつかの福音書が書かれていました。その中に、新約聖書におさめられているマルコによる福音書、マタイによる福音書があったと思われます。

では、なぜ、ルカはそれらに加えて新しい福音書を書こうとしたのでしょうか。

そもそもイエス・キリストの福音、教会において語られ、聞かれ、伝えられている福音はたった一つのはずです。そのことは、例えばパウロによって、強調されて次のように言われています。ガラテヤの信徒への手紙1章6〜9節。

それでは、本来一つしかない福音に対して、どうして複数の福音書が複存在するようになったのでしょうか。今また、複数ある福音書にルカがさらに福音書を付け加える理由はどこにあるのでしょうか。

その理由として、今、二つのことをあげたいと思います。
第一は、確かに福音の内容である主イエスが語られた言葉、なさったみわざは一つですが、それを聞いた人々、見た人々は一人ではなく、複数の多くの人々だったからです。複数の人々が聞いたこと、見たことを証言した結果、その証言の内容は同じでも、表現は聞いた人、見た人によって違ったために、そこに多様性が生じるのは当然だと言わざるを得ません。でも、その多様性の中に、確かな一致があります。もし、主イエスご自身が著者となって書き残された文書があれば、読むべき文書はそれ一つしかなかったでしょう。でも、主イエスはそのような文書を書き残されませんでした。わたしたちは主イエスの語られた言葉を聞いた人々の複数の証言を通して成立した、複数の福音書によって主イエスについての一つの福音を伝えられているのです。

もう一つの理由として、主イエスの証人たちが伝えたことを聞いて、それを書き連ねた人たち、マルコやマタイと言った福音書の著者となったこの人たちには、背後に違った読者がいたということです。マルコにはマルコが、マタイにはマタイが福音を伝えたい相手が、それぞれに異なった人たちとして存在していました。

ルカはここで「敬愛するテオフィロさま」と呼びかけていますが、この人はルカが福音書を読んで欲しい読者の代表です。この人は、ユダヤ人ではない、ルカと同じ異邦人です。ギリシャ人で、しかも、前の口語訳では、「敬愛するテオフィロさま」ではなく、「テオフィロ閣下」と訳していましたように、ローマ帝国の高官です。著者のルカは、ローマ帝国の公職についている人たちがもっている教養を身につけている人でした。今日読んでいる「献呈の辞」で書物を書き始めるのは、当時のギリシャ、ローマの教養ある知識人の間での慣習に習ったことだったのです。そのような広い読者層に向けて、ルカはその人たちが読める福音書を書く必要性を感じていたのでしょう。

このテオフィロという人はすでに信仰に入っているかどうか、意見が分かれていますが、どちらであれ、ルカはテオフィロたちがこの福音書を読むことを通して、信仰の確かさをいよいよ深めてほしいと願って、福音書を書いたのでした。もし、テオフィロがすでに信仰をもっている人であれば、彼はこの書物を読むことにより、自分の信仰の広がりに目を開かれてゆくことになるでしょう。

以上が序文についての、二つの課題のうちの一つ、なぜルカが新しく福音書を書いたのか、その理由についてでした。次にルカの著作が、上巻、下巻の二部構成になっていることについてお話ししたいと思います。

今日の御言葉の最初に「わたしたちの間で実現した事柄について」と書かれています。
ここで「実現した」と訳されている聖書の原語には、何かが起こった、生起したと言った単純な意味もありますが、それだけでなく、ここで「起こった」と訳さないで「実現した」と訳されていることからもうかがわれるように、実現というのは、前から計画されていたとか、約束されていたことが「実現する」ということです。そしてここでルカが意味しているのは、「わたしたちの間で起こった出来事」は、神の御心として、救いの約束が果たされたという意味で、「実現した事柄」と言っているのだと思います。

そして、それは主イエスが生まれ、生涯を通して語り、なさったことそれが、わたしたちの間で実現したことの第一ですが、それが聞かれ、伝えられて、福音書が書かれたということも、そこに含まれていると言って良いでしょう。しかし、「わたしたちの間で実現した事柄」として、ルカは福音書に書かれた主イエスの公生涯だけでなく、それに続いて書かれたし使徒言行録に記された出来事をも含んでいるのです。そういたしますと、主イエスの昇天から始まり、主が再びおいでになるときに至るまで、弟子たちが世界の果てにまで主の証人として派遣される歴史は、今、私たちが生きている21世紀まで続いている歴史であり、私たちもその中に含まれることになります。

話が少し飛躍しますが、ルカによる福音書8章に悪霊を追い出していただいた人が主イエスのお供をしたいと願って、聞き入れていただけなかった話があります。そこで主イエスは癒されたその人に「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」と言って、彼を立ち去らせられると、彼は自分の家のある町に帰って行き、主イエスのなさったことをことごとく町中に言い広めたとあります。

悪霊を追い出していただいた人には、帰るべき家がありました。神さまの救いと主イエスの福音を伝えるべき相手があったのです。先週、宋富子さんを迎えて礼拝と講演会を持ちました。宋さんは在日韓国人として生まれ、81歳になるまでの生涯を生きてこられました。その中で、福音と出会い、自分を発見し、福音の証人として、今なお、多くの人々にイエス・キリストを証しておられます。宋富子さんが福音と出会って、主イエスのことを帰って伝える家はどこだったでしょうか。それは第一に宋富子さんの属する在日韓国人の人々とその社会がありますが、この日本で共に生きている日本人社会もまた、主イエスを伝えるために帰るべき家だったと思います。
宋富子さんの生涯において起こっていることも、わたしたちの間で神が実現しておいでになることの一つです。

ルカはルカが福音を伝えるべき人々がいたので、ルカによる福音書を書きました。宋富子さんも、福音に出会って、その福音を伝える人々に向かって、全生涯を捧げて、自分史を語り、在日韓国人の歴史を語り、神の子として平和を実現する使命に生きています。わたしはそれを「宋富子さんの福音書」と呼びたいと思います。

私は明日72歳の誕生日を迎えます。70年の人生のうちの30年をここ福岡城南教会でこうして講壇から福音を説教して過ごさせていただきました。その日々を振り返って、今、私自身とても大きな感謝を覚えていることがあります。それは今年、私が筑紫野教会応援のために留守をした第4日曜日に、長老の方々が講壇に奉仕してくださった、その長老の方々の説教が、それぞれに個性があり、多様性がありながらも、それらの説教が内容的に一致していたことです。それぞれの説教が違いながらも、一つであったこと、その一致しているところに、私の御言葉の奉仕があるとすれば、説教者としてこれほど幸いなことはありません。それぞれの長老が、自分の職場、生活の場を背後に持ちながら、一つの御言葉を自分の背後にいる人々に語ってゆくという展望がひらけてくるのを喜びと感謝をもって覚えています。

主イエスがなさったみ業、語られたことば、主イエスにおいて神が実現された救いの計画があります。さらに、主イエスの生き証人となった人たちにおいて実現したこと、福音書を書いた人たちによって実現した神の計画もありました。しかし、それらは、今を生きるわたしたちの奉仕と証の歴史を抜きにして完成することはないのです。ヘブライ人の手紙11章は神の救いの計画はわたしたちを除いては完成しないと言われています。

今日、最後にみなさんに問いかけたいことは、みなさんの帰るべき家はどこか、皆さんが帰って主イエスの福音と、神様が皆さんにしてくださった救いを伝える相手は誰ですかということです。ルカはルカが属する異邦人世界の人々に向けてルカによる福音書を書きました。宋富子さんはチマチョゴリを着てわたしたちの前に立たれ、ご自分のメッセージを語られました。わたしたち、ひとりびとりは、それぞれの名前を冠した小さな福音書を書くのです。そして、それを通して福音が伝えられるべき人たちがいるのです。皆さんは誰のために、皆さんの福音書を書かれるのでしょうか。私たちはひとりびとり自分の着るべき服を着て、自分の語るべきことば通して、伝えさせていただく福音があるのです。その福音のために自分の生涯を捧げ、主に用いていただきましょう。

父と子と聖霊の御名によって。